10月3日は東西ドイツが再統一された日。1990年のことなので今年で24年になる。
日本では一般的に「よい日」とされるドイツ再統一。ベルリンの壁が打ち壊される映像は冷戦時代の終わりを象徴するものとして、繰り返し繰り返しブラウン管に映し出された。でも、ほんとうに手放しで祝える出来事だったのだろうか。そう思うことがある。
東西ドイツが再統一した直後の11月、東ドイツを代表する指揮者だったヘルベルト・ケーゲルは自ら死を選んだ。
数年後、1990年代中ごろのことだったが、ニューヨークの画廊でこんな経験をした。「名前を言っても知らないかもしれないけど、これもそう、この作家もそうよ」と、収蔵棚から額装されていないシート状の油絵を引っ張り出しては、学芸スタッフが教えてくれた。「東ドイツから亡命したアーティストの作品や、友だちの伝手で作品をアメリカで売ってほしいと送られてきたものなの」と。
東ドイツだった土地に残った芸術家たちは、絵の具を買うこともままならないほど困窮しているという話だった。
抑圧からの解放があったとしたら、それはたしかに慶事と言っていいのだろう。しかし壁が壊されたことで、東西冷戦にピリオドが打たれたことで、果たして本当に抑圧や貧困、差別は解消されのだろうか。世界はよくなる方向にあると言えるのか。
話は前後するがベルリンの壁が壊された後、日本交渉学会理事の谷川須佐雄さんは言った。「冷戦が終わったと喜んでいる人が多いが、大きな対立が消滅した後には無数の小さな対立が起きる。これまで対立の大きな構図の中で抑え込まれていた対立が顕在化するからだ。民族対立や宗教対立が続発するだろう」。
1990年8月には、湾岸戦争の原因となるイラクによるクウェート侵攻が発生した。冷戦が終わったとされてから今日までの間に、どれほどの戦争や紛争が繰り返されてきたことか。ニュースに取り上げられる大きな紛争の背景には、ニュースに取り上げられることのない抑圧や貧困、差別が必ず無数にあるはずだ。
10月3日はドイツ再統一の日。かつての東側陣営が崩壊し、自由主義と資本主義の勝利を象徴する日。しかし、あえてガンジーの言葉を思い出したい。
「死や孤児たちやホームレスをつくり出す狂気の破壊。それが全体主義の名の下になされようとも、あるいは自由と民主主義の神聖な名の下に行われるにしても、そこにどんな違いがあるというのだろうか」
“What difference does it make to the dead, the orphans, and the homeless, whether the mad destruction is wrought under the name of totalitarianism or the holy name of liberty or democracy?”