1日目 4月25日(金曜日)
18時にレンタカーを借りて、自宅で息子と合流。出発後、行った先々へのお土産を買い込んで、いよいよ21時、伊豆縦貫道から東名高速へ!
この夜はひたすら走りに走って、明朝から宮城県亘理町のロシナンテスの催しに間に合うよう高速を突っ走るのみ。50オヤジと中学生の凸凹コンビで道中楽しくおしゃべりしながら東北の地を目指しました。
うとうと気味の息子を、栃木・福島県境を越えたあたりで揺り起こし、線量計の変化を見てもらいつつ、とにかくできるだけ目的地の近くまでと、安達太良サービスエリアで仮眠。
福島との県境を越えたあたりからの線量の変化は、これまで何度か走った時とまったく同じパターン。郡山ジャンクションあたりで、特異的に高くなるところがあり、その後は上限を繰り返しつつ、本宮、福島松川、福島あたりの上り坂で瞬間的に0.5マイクロシーベルト超の高い線量。数値もひとりで走った時の記憶とほぼ変わらず。おそらく半減期30年のセシウム137のガンマ線を主に拾っているのでしょうが、線量低下までにかかる長い先行きを考えさせられる結果でした。
●この日の走行距離は約440キロなり。
2日目 4月26日(土曜日)
5時前にトイレに行った時、高速を下りる予定にしていた白石インターチェンジ付近で事故の情報。7時まで寝るつもりを変更して急遽出発。手前の国見インターチェンジで下道に下りて、国道4号で亘理町を目指します。
◆ロシナンテスな朝
亘理町のロシナンテス東北事業部(2代目ロッシーハウス)に到着したのは8時頃。スタッフのみなさんに息子を紹介し、前日から訪問されていたKさん(父の高校の先輩に当たる人だった!)にもご挨拶。午前中は、ロシナンテスの主要事業のひとつである健康農業の参加希望者説明会のお手伝い。
と、その前に。これから説明会に行く仮設住宅の人たちが、どんな町で暮らしていたのか見ておいた方がいいでしょうとの、東北事業部長・大嶋さんのはからいで、Kさんとうちら父子と鳥海(とりのうみ)近くの荒浜を案内してもらいました。
町民のいこいの場だった温泉施設の周辺は、いっそう建物等の撤去が進み、以前よりさらに何もない平地のたたずまい。その中に温泉施設ののが大きな躯体を残し、周囲では一部でかさ上げ工事も始まっています。そして何より変わったのが、海岸沿いに建設された防潮堤。意外と傾斜がきついところを登って防潮堤の上に立つと、目の前に広がるのは太平洋。
しかし、大嶋さんが言うのには、「大きな建造物に見えるかもしれないけど、飛行機から見下ろすと、心細いほど小さいんですよ。これで本当に津波から町を守れるのだろうかと思うくらい。造った意味まで考えさせられます」。
寝不足がたたったか、海辺の日差しに目をしばしば眩しそうにしながら、そんな説明を聞きいて何やら頷いてばかりいる息子でした。
そしていよいよ健康農業の説明会へ。これまでお誘いしていなかった仮設住宅の集会場で、健康農業の意味や魅力をしっかり伝えるのがこの日のミッション。息子も「亘理いちご畑(健康農業のブランド名)」のサロンエプロンを身につけて、仮設団地からやってくるおばあちゃんたちの接待を手伝いました。
◆ロシナンテスな午後
休日とはいえロシナンテスは午後もハード。この日は東京と九州からやってくるお客様の接待です。にわかロシナンテススタッフとしてのお手伝いと称しながら、実質いっしょに案内してもらいました。
とまあ、そんな立て込んだスケジュールながら、出発前にはロッシーハウスの庭でタイヤバーベルで遊んだりもして。
お客様のお迎えは、駅迎え組と空港迎え組に手分けして出発したのですが、我々は空港組。仙台空港は震災当日の津波で飛行機が流されるショッキングな映像等が残る場所。空港ロビーの片隅には浸水した高さや当時の様子を表示したパネルも表示されていました。「写真撮るからこっち向いて!」とお願いしても、茜さんも息子もつれないことつれないこと。
お客様をお迎えして、まず向かったのは岩沼市の「みんなの家」。IT企業のインフォコムさんの支援で東北各地に建設されたコミュニティスペースの岩沼版。ここはこどもたちの遊び場、古くからの住宅地と新たに越してきた新築住まいの人たちの交流の場など多彩な目的を掲げて活動しているとか。
説明を受けている間にも数人組の小学生たちがやってきて、あまりの人の多さにちょっとびっくりしたらしく、「あっ」とか「おっ」とか言いながら、しばし外で待機遊びをしていたようです。
続いて出掛けたのは千年希望の丘。岩沼市の海岸近くに、津波で破壊された建築物のコンクリート等を砕いた砕石や、津波堆積物などを芯にした円丘状の丘を築き、そこに地元で生えていた木々を植樹。次に津波に襲われた際に、丘と丘が波を逃がし、逃がした波が干渉し合うことで被害を減衰させようという知恵が込められたもの。
レクチャーを聞いていて「!」の連続。さすが!
植物の植え方にも、異なる種類の木が隣り合わせになるように、そして驚くほど近い間隔でびっちりと植え込まれています。なぜなら、異なる種類の木は競い合う。間隔が狭いと負けた木は枯れ、勝ち残った強い木だけが1000年の森を造っていくという深い深い思想が込められているのです。
息子はと見ると、説明を聞きながらやたらとスマホをいぢっていたので「まったく!」と思っていたら、後ほどほかのお兄さんから、スマホにメモってるのですねと教えられて、ちょっとびっくり。
さらに足を伸ばして、名取市閖上の日和山へ。海風にさらされる小山の上のオオシマザクラが元気に花開いているのを見て、自分のことのようにうれしかった。
●この日の移動距離は240キロ。そう書いておしまいにしたいくらい充実の一日でしたが、まだまだこれから夜の部に突入!
◆ロシナンテスな夜
ロッシーハウスには掟がふたつだけあります。そのひとつは、ご飯は基本みんなで食べる。つくるのもできるだけみんなでつくる。
とはいえ、本日は東京と九州からコンパスポイントという団体の若いビジネスパーソンのみなさんが大挙していらしていたので、みんなでつくるというのは無理。ということで若い方々につくってもらいましょうと鶴の一声で決しました。こちらはしゃべるのと食べるのの担当に。
夕方からは閖上が地元の佐々木さんも合流して、閖上の話を熱く熱く熱く語ってくれました。われわれも若いビジネスパーソンのみなさんも、佐々木さんの語りの世界に引き込まれいつまでもいつまでも、話し疲れて眠るまで東北のあるひとつの地域の深い話を聞かせてもらったのでした。
その一方、息子はというとプロデビューも近いのではと噂される大嶋さんからギターの手ほどきを受けたりして。
スタッフのみなさん、コンパスポイントの皆さん、そして我々と15人近い人々が、互いに古民家の中で熱を発し合う夜は更けて行ったのでした。