行ってきました! ボランティア体験と知人訪問の父子旅

●この日の移動距離は240キロなり。

4日目 4月28日

今日はモーレツに駆け足です。

◆大川小学校へ

お焼香して、正月に設置した手のハートのイルミネーションを見て、校舎の周りをぐるりと一周。破れた天井をすみかにした鳥たちの声、宮沢賢治の文章の一節が残った行程の野外ステージ、体育館跡、プール跡。裏山のこと、こどもたちが避難のため引率されたルートのこと、亡くなられた方がたのこと。この場所について知っていることをできるだけ話しましたが、たぶんそれ以上にたくさんの「声」を彼は聞いたことでしょう。

◆常連のガソリンスタンドへ

大川小学校から雄勝を回って石巻・女川方面へ。震災の後、初めてこの地域に来た時から給油しては事務所でお茶っこさせていただいているガソリンスタンドへ。このところ留守だったり、すれ違ったりするこが多くて、店で会えたのはもしかしたら1年ぶりくらい?

それでも車を降りて挨拶したら「おー!」
これ、息子ですと紹介したら「おー!」

給油後、やはり事務所でお茶っこさせていただきました、かるく1時間ほど。久しぶりに話を聞いてみると、この辺りの商売の様子も少しずつ変わってきているとのこと。息子にとっては、完全に大人の話だったかもしれませんが、しっかりスマホでメモっていました。スタンドの社長さんにはゲームかなにかしているようにしか見えなかったかもしれないけど。

◆ブランチは Cafeはまぐり堂

大川小学校からリアス式海岸を巡って、さらにスタンドで長い大人話をして、さすがにお腹がすいたのでブランチがてら Cafeはまぐり堂へ。

どんどん夢が拡充されて行く蛤浜を満喫!

◆石巻の町中へ

そして石巻の町中へ。父の知り合いの人たちに息子を紹介して回ります。

◆こどぱにー

途中、こども∞感ぱにー(こどぱにー)に差し入れ持って立ち寄って、息子だよ~と紹介したら、いいじゃん、パパ似できっとキャンプとか好きでしょ。うちも小学生たちとキャンプやったりしてるんだ。夏のキャンプは手伝ってよ! なんて言ってもらえた。なんか、自分のことのように激うれしかった。

◆石巻2.0

代表の松村さんがお出迎えしてくれた! スタッフの多くが出払っているとのことだったけど、立ち話ながら2.0不動産のこと、短時間でビビッと理解できる説明をしてもらえた。あ、ちょっとこれは大人話だったかな。

◆リーガルショップ

ひろ子さんに会いに、というか会わせにというか、靴を買いに行く。リーガルの靴は高級だけど質に見合って高額だから今じゃ父はなかなか買えない。それでも若い頃はけっこう買いに行っていて、R字のペーパーウェイトをもらったりもしていたんだ、などと言いながら店内へ。
前から情報が回っていたらしく、「いや~、やっと会えましたね」とひろ子さん。靴を買いにきたことも見え見え。

趣旨としては、安い靴を買ってはカカトを踏んですぐに靴をダメにしての繰り返しのバカ息子に、ちょっと無理してでもいい靴を買って、ものを大切にする心がまえを身につけてほしい。だからひろ子さん、よろしくお願いします! と後は任せる。

でもね、井上さん、まだ中学生だから。革底の革靴なんていくらなんでももったいないですよ。これなんかどうかしら?

本格的な大人靴の代表的ブランドのリーガルにあって、中学生にも履ける。しかも、靴を大切にする気持ちを持とうという「きっかけ」になるという逸品を選んでいただきました。

ひろ子さん、ありがとうございます!

◆そしてもちろん、佐藤兄弟商会

顔を出すと「で、今回はいつ帰るの?」と社長さんから訊かれちゃうのが最近の定番になってしまったけいていさん家。申し訳ないです。自分としても残念なんだけど、このところ今日帰るんですということが何度か続いてる。あ、今日もだ。それでも少しくらいおしゃべりして。ここも大人話か。でもけいていさんちは石巻町中の情報拠点。東北の様々な場所のグッズから、萬画の町・石巻ならではのマンガや読み物も豊富。大人話の傍らで、息子も彼なりに楽しんでいたようでした。

まだまだ行きたいところはたくさんあったのですが、GWだからか閉まっているお店や留守の方も多く、父としては少し残念。また次回お邪魔させてください!

◆学生の本分は勉強だから、今日は帰るのだ

とは言わなかったが、どうしても仕上げなければならないレポートがあるとのことで、彼は石巻の町歩きの後、ひとり電車で帰宅することに。

石巻駅から途中バス代行の便で行くように言ったのだが、ちょっと不安そうな顔。聞いてみると、今日はあまりにもたくさんの人に会ったから疲れてしまったのだとか。あぁそうか。たしかに自分にとってはみんな知り合いだったけど、彼には全員初対面。たとえば自分が早朝から12人も取材したらどうなるか、想像してみて納得しました。甘やかせとかではなく、たしかに精神的にそうとうバテテいるんだろうな。

とは言え、渋滞必至の仙台駅周辺まで送って行っては、逆に新幹線を逃すことになりかねないので、松島海岸駅から電車に乗ってもらうことにした。ここからなら、仙石線で仙台に行き、新幹線に乗り換えて、東京で東海道新幹線。楽勝でしょう。

切符を買って、近所のお店にお弁当買いに行って、でも「あ、昨日の日和キッチンのパンの残りがあったじゃん!」ってことになっておかずだけ買って。

また駅に戻って、あれこれしているうちに電車の時間が近づいてきて。息子を改札口に送り出し。駐車場から高台のホームに現れるのを見届け、そしたらちょうどその時間、上りと下りが同時にホームに入ってくるではないか!

ちゃんと仙台方面行きに乗れるか?? 仙台方面とは言え仙台行きではないぞ! などいらぬ心配。彼はしっかりマンガッタン号に乗車して、仙台方向へと帰宅のとについたのでした。

いや~、ちょっとだけ保育園の頃の子別れの朝を思い出しました。

父はこの後、農業体験が出来なかったことのリベンジで、ロッシーハウスへ向かうのでありました。

●この日の移動距離、230キロ。

5日目 4月29日

◆ロッシーハウスな朝 Three

ロッシーハウスの朝。爽やかに目覚め、表に出るとすでに岡部さんが畑の方へと歩いて行く。何ナニとついていって、畑作業をちょっとだけ教えてもらって、そうこうするうち岡部さんは「ぼく朝食の準備がありますから」。ぴょんぴょんついて回って、何かてつだいますよ、としつこく話しかけていたら、「朝食でサンドイッチを作る時の岡部さんには手を出しちゃダメ」と大嶋さんと茜さんが声をハモらせて言ってきた。

う~む、ロッシーハウス、奥が深い。

てな感じで始まった5日目の朝。この日は農業体験(新しい畑の除草・ただし実質的にはほぼ開墾)がメインメニュー。

タンポポが咲く畑でお茶っこして、楽しそうでしょう。たしかに楽しいんです。でも楽しいだけじゃない。

何年も放置されていた畑には、多種多様な雑草。とりわけスギナ、さらに笹の根がごちゃまんとはびこっていた。

肉体労働好きですが、健全な意味で大汗かきました。

農作業を終え、お昼をいただき、お母さんたちをお住まいまで送迎し、ロッシーハウスに戻ってからシャワーを頂き、そうこうするうち出発の時間。名残惜しかったです。

見送ってもらっているところを、わざわざ写真に撮ろうとしたら、

「井上さん、それじゃオタクみたい!」

と突っ込まれる。笑った笑った。満喫しました、ロッシー2 !!

この日は亘理町からできるだけ海沿いの道を南下し、福島県南相馬へ。さらにそこから飯舘村を越えて福島方面へ。夜道をひたすら茨城方面へ走り日立で泊。

●この日の走行距離280キロなり。

6日目 4月30日

茨城方面の様子をできるだけ見て回りたいと日立まで来ましたが、あいにくの雨。

けっきょく茨城海岸は断念し、いわき市へ北上。さらに白河を経由して、レンタカー返却期限ぎりぎりに帰還を果たしたのでした。

雨の中の東海村原子力関連施設のゲート(東海村)
久之浜、見渡神社の銀杏の木(いわき市)
アウシュヴィッツ平和博物館に隣接する原発災害情報センター(白河市)