飯舘村の温かくて、おいしくて、一生忘れられないオニギリ

飯舘村について

福島県相馬郡の飯舘村は、阿武隈山地北部に位置する村で、標高およそ400~600メートルの高原地帯にあります。一年の平均気温は約10度、年間降水量は1,300mm前後となっており、村の公式WEBサイトによると、人口はおよそ6000人。総面積は、茨城県・霞ケ浦より少し広い約230平方キロメートル。そのうち、約75%を山林が占めています。北に真野川、中央に新田川と飯樋川、南部に比曽川が流れ、その流域に耕地が開かれ、集落を形成しています。

福島第一原発事故による影響について

「日本の原風景ともいえる景色、家並みが数多く見られ、四季を通じて訪れる者に安らぎを与えてくれた。」

かつての飯舘村について、雑誌「DAYS JAPAN 7月号『すばらしき飯館村の日々~原発事故が奪っていった暮し』」に書かれている一節です。

飯舘村は「日本で最も美しい村連合」に加盟している自然豊かな美しい村です。しかし、現在、福島第一原発事故の影響により、全域が避難指示区域に指定され、村民の方々は避難を余儀なくされています。

事故発生当初、村の大部分が原発の30㎞圏外であったことから、避難指示や屋内退避の指示が出されずにいました。しかし、実際には、風向きの関係で高い放射性物質が飛来していたことが、後になって公表されています。

飯舘村民の今の声

避難生活を送っている飯舘村住民の「想い」を発信し続けている人がいます。飯舘村に住んでいた酒井政秋さんです。

酒井さんは、同じように仮設住宅に住でんいる方々にインタビューを行い、それをご自身のWEBサイトなどで紹介しています。サイトには、苦しみ、辛さ、やり場のない憤りや、なんとか希望を見出して前を向いて進もうとしている住民の方の声が多く載せられています。以下はその一部です。

いつも頭によぎる言葉
「放射能さえなければ」
なんで来たんだろう。なんで飯舘村に放射能が来たんだろう。
なんで…。なんでこんな風になったんだろうか。。
ほんとに悔しいよ。毎日。
(70代 女性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

避難してから母の認知症がどんどん悪化していく
母の面倒見ながら、この仮設で暮らすのも大変。。
悩むよ。。
おれもおかしくなりそうだ。
(60代 男性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

せめて、
せめてね。
孫や曾孫が安心して暮らしている姿を見届けてから
亡くなりたいものだなぁ~。
(80代 女性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

きっとみんな飯舘に帰りたいと思っているかもしれない。
けれど、現実問題飯舘には放射能物質が降り、落ちた。
そして、今なお、そこにある。見えないけれど・・・。
そんなところで、結婚して、生活して。今ではこれは「夢」と消えてしまった幻想。そんな簡単に放射能物質は消えない。
しかも、わたしはあの時、被ばくをさせられた。
ほんとに放射能さえなければこんな苦しい思いはしなかったと思う。自分のやりたかった人生は絶たれた。
ほんと放射能が憎い。
(20代 女性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

早く故郷に帰り、味噌造りを再開したい。長年親しんだみそ汁をまた飲みたい。
村で安心して、暮らすため村全域を除染してもらいたい。
掃除や片付けのため、2ヶ月に一度は自宅に帰る。ネズミが増えて、糞がたくさん落ちている。
思い出がたくさん詰まった家が汚れていくのは耐えがたい。
(70代 女性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

「昨日まで、風邪ひいて寝てたの…。カーテンも鍵も閉めて…。
そして、今朝良くなったから散歩してきたの。涙ながしながら、この2年の力はないよ。
もう。村がとか国がとか・・・はもう諦めた…。
何にもしてくれない…。だから自分の余生は自分で考えなきゃ…ね。
(飯舘村じゃない)生まれ故郷に帰ろうか…。飯舘村に戻ろうか…と、毎日考えてたんだよ…。
若い貴方が来て話を聞いてくれてホントにパワーもらった。一週間また、元気でいられる。」
(60代 女性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

次の声は、70代・男性の方です。

訳のわからないものにお金を使ってほしくない。村のお金は村役場の為のお金ではない。
タブレットもはじめに使えるかどうか確認したうえで全戸配布を決定してほしかった。
結局使えないまま、箪笥の肥やしにしてしまっているじゃないか!!
更新は遅いし、テレビ電話だって不具合も多い。結局使うのを諦めて、閉まって使わなくなる。
これは無駄使いと言えるのではないか。それから除染もそう。
大手ゼネコンだけが儲かる仕組みで避難者、村内の人には不安の材料の一つになっているだけで、
逆に心まで汚されてしまっている。もうたくさんだ!こんな思いをするのは・・・。
誰のための除染なのか、何のための避難なのか。もう少し、考えて欲しい。もうほんとに、たくさんだ。

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

除染の同意書に納得いかないからはんこを押さないと国が押さないと前に進みませんよ。と言う。。押さない我々が悪いのか・・・。なぜ、責められなければいけないのか・・・。納得できるようになぜ話さないのか。疑問だらけだ。
(60代 男性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

酒井さんのWEBサイトを見る限りでは、除染を望む人がいる一方、除染作業に反対する住民の方も多く見受けられました。

震災から間もなく3年がたち、風化が懸念されている今、下記と同様の不安を持っている方は多いそうです。

テレビで取り上げてまだ、終わっていないっていうことが実感するからありがだい。見捨てられちゃうんじゃないかといつも不安なんだ。
(80代 女性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

私たち世代で元気のある人が飯舘村の土地を風景を守る。
だけども、若い人は帰ってこない。いや、帰ってきてはいけない。
安全だか危険だかこれから何があるか、この放射能は見えない・臭わない、感じない。だからこそ、若い人は帰ってきちゃダメだ。
外と中を繋げる機能や役割をそろそろ考えて行かなければならないんじゃないか。そこを目標に外で若い人が頑張っている。じゃー帰ってきた我々が中を良くしていこう。そして、いつの日か帰ってきたいと思う人が出てくれたらそこからがスタートなんじゃないか。それまで繋いでいくしかないと思うんだ。
(60代 男性)

引用元:ホーム - iitatemessege ページ!

温かくて、おいしくて、一生忘れられないオニギリ

慣れ親しんだ土地を離れて、避難生活をされている飯舘村の方々。

そんな飯舘村に住んでいた方々についての記事が、2月20日付河北新報に掲載されていました。

大雪で多くの車が立ち往生した福島市の国道4号で16日、沿道の仮設住宅に暮らす福島県飯舘村民がおにぎりを炊き出し、飲まず食わずのドライバーたちに次々と差し入れた。持病のため運転席で意識を失いかけていた男性は19日、取材に「命を救われた思いだった」と証言。東京電力福島第1原発事故に伴う避難が続く村の人たちは「国内外から支援を受けた恩返しです」と振り返った。

引用元:河北新報 東北のニュース/大雪で車立ち往生 避難の飯舘村民、仮設から命のおにぎり

おにぎりを作って配ったのは、国道を見下ろす高台に作られた仮設住宅で、避難生活を送っている方々です。前日から車が全く動いていないことに女性たちが気付き、仮設に届けられていたお米を炊き、のりと梅干しを持ち寄って、20人ほどで約300個のおにぎりを握ったそうです。そして、1メートル近い積雪の中、おにぎりが冷めないようにと、発泡スチロールの箱に入れ、1人1個ずつ渡して回ったとのことです。
記事に書かれている、持病(糖尿病)を持った男性は、

「温かくて、おいしくて、一生忘れない。仮設で厳しい暮らしだろうに、こうして人助けをしてくれて頭が下がる」
と感謝をし、そして、それを伝え聞いた仮設住宅の婦人会長は、

「震災からこれまで、数え切れないほど多くの人に助けられてきた。またあしたから頑張ろうと、私たちも励みになりました」
そう話していたそうです。

飯舘村

参考WEBサイト

Text:sKenji