[2月4日という日]予知された?海城地震の日

1975年2月4日「予知に成功!」とされた海城地震

雪が積もった中ヘビ数匹出てきて凍死していた。ネズミの大群が走り回る。深い井戸から水があふれる――。そんな現象を地震の予兆とみて大規模な避難を行ったことで、人的被害を最小限に食い止めた、とされる地震が中国遼寧省で発生した。海城地震だ。

マグニチュード7.3の地震によって9割の建物が倒壊したにも関わらず死者は3人だった村もあったという。この地震で避難対象とされた住民はなんと100万人に上ったという話もある。

海城地震は本震の前に顕著な前震が続くという顕著な特徴があり、前震活動の観測に加えて地磁気や地電流、地下水などの異常データを検討。さらに、動物の異常行動なども加味した上で行政による避難命令が出されたという。

初めて予知に成功した地震として世界中から注目された海城地震だが、その予知が万能ではないことは、翌年隣の河北省で起きた唐山地震で、きわめて残念かつ不幸な形で証明されてしまう。海城地震と同様にさまざまな前兆現象は観測されていたものの、前震が見られなかったために避難は行われず、その結果として工業都市・唐山は壊滅。14万8000人の死者を出す惨事となってしまった。

地震予知成功の事例として取り上げられることが多い海城地震だが、現在では「予知」の可能性に否定的な声の方が多いように見受けられる。

もちろん、地震予知が可能とする専門家も少なくない。しかし、そもそも地震は複雑系の現象。梢から落ちた葉っぱがどこに着地するかとか、ある特定の知り合いに明日道でばったり出会うかどうかという話と同じくらい複雑だ。予知することなどできないと考え方を切り替えた方がいいのでは。

歴史の中の2月4日

▼1789年 ワシントンが米国初代大統領に選ばれる
選挙人がそれぞれ2票を投じる選挙で、ワシントンは選挙人人数と同数、つまり100%の支持を得てアメリカ合衆国初代大統領に選出された。就任は1789年4月30日。

▼1861年 アメリカ南部諸州が独立しアメリカ連合国を結成
ケンタッキー州出身のエイブラハム・リンカーンが大統領に当選したことに危機感を抱いた南部諸州が合衆国を離脱。この日、アメリカ連合国として新たな国を結成した。この動きが2年後の南北戦争につながる。

▼1899年 米比戦争勃発
スペインからの独立戦争に加担する形で米国がフィリピン独立戦争に介入。スペインをマニラ湾海戦で破った後、フィリピンは独立を果たす。しかし、米西戦争の和平会議であるパリ講和条約でアメリカはフィリピンをスペインから購入。1899年1月にフィリピン独立による講和国政府が樹立されるも、アメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーはフィリピンの領有を示唆する。米比戦争はフィリピンにとっては独立戦争の敗北であり、アメリカにとってはフィリピン植民地化のための戦争だった。

▼1933年 二・四事件(にいよんじけん)
長野県で教職員ら600名余りが治安維持法違反として検挙、弾圧された事件。組合活動などを行う教職員らが多数捕えられた。この動きは全国各地に伝播し、赤化教員事件と呼ばれる。

▼1938年 ブロンベルク罷免事件
ナチスが勢力を拡大していく過程で起きた謀略事件。軍の統帥権を持っていた国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルク陸軍元帥の結婚相手が娼婦出身との噂で、また陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将に対しては自身が同性愛者であるとの嫌疑から軍のトップ2人が失脚。軍の統帥権はヒトラーに移り、全軍の指揮権を完全に掌握することになる。(一連の流れに政治的な手続きに関する法令違反はないとされる)

▼1945年 ヤルタ会談
ドイツ、日本両国の敗戦が確実になる中、クリミア半島のヤルタで行われた戦後体制に関する首脳会談が開催される。 フランクリン・ルーズベルト(米)、ウィンストン・チャーチル(英)、ヨシフ・スターリン(ソ)が参加した。
ドイツ占領、ポーランド問題、日ソ中立条約を破棄した上でのソ連対日参戦、サハリン南部・千島列島のソ連の領有、朝鮮半島の信託統治などが、当事国抜きで決定された。

▼1975年 中国遼寧省で「予知された地震」海城地震発生
当局が事前に避難命令を出したことで被害が大幅に軽減したとされる、マグニチュード7.3の海城地震が発生。

この日が誕生日

◆1553年 毛利輝元
安土桃山期から江戸初期にかけての大名。豊臣秀吉亡き後は五大老の一として関ヶ原の合戦では西軍総大将を務める。これが仇となって関ヶ原で西軍が負けた後は、中国地方一円を支配する大大名から、長門・周防二国37万石に減封されることになった。

◆1835年 前島密
新潟県出身で後に幕臣前島家の養子となり、さらに明治政府に出仕した官僚。1円切手に肖像が描かれた「郵便制度の生みの親」。明治期の官僚のイメージが強いが、生まれは天保年間。
◆1897年 ルートヴィヒ・エアハルト
ドイツの政治家。1963年から1966年まで西ドイツ首相として経済成長戦略をリードする。西ドイツの発展は「エアハルトの奇跡」と呼ばれた。

◆1898年 伊藤深水
東京・深川生まれの日本画家。その美人画はいまも評価が高い。

◆1902年 リンドバーグ
ミシガン州デトロイトに生まれたアメリカの飛行家チャールズ・リンドバーグ。1927年5月20日早朝から5月21日夜にかけて、ニューヨーク・パリ間を33時間余りで単独無着陸飛行に成功した。

◆1932年 福田繁雄
東京出身のグラフィックデザイナー。「VICTORY」「NO(HIROSHIMA-NAGASAKI 50)」などのポスターや、見る角度で別の見えるトリックアートのような立体作品を数多く制作した。

◆1966年 小泉今日子
神奈川県厚木出身のアイドル歌手、女優。2013年には14年ぶりに「潮騒のメモリー」をリリースした。

この日亡くなった人たち

・1041年 藤原公任(ふじわらのきんとう)
藤原北家の流れに連なる公家。正二位、権大納言。歌人として評価が高い。百人一首に
「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」(大納言公任)がある。

・1615年 高山右近
摂津生まれの国人領主。豊臣秀吉の信望が厚かったキリシタン大名。12歳で洗礼を受けたという。家康のキリシタン追放令を受けて、自ら進んでマニラ(フィリピン)に渡り、その直後に同地で没した。洗礼名はユスト。

・1943年 林銑十郎
旧加賀藩士の子として生まれた軍人、政治家。陸軍大将。第33代内閣総理大臣。廣田弘毅内閣が腹切り問答で倒れた後を受けた宇垣一成が組閣に失敗。その後を受けて成ったのが林内閣だった。廣田内閣から引き継いだ予算を成立させた後、これといって理由はないが衆議院を解散(食い逃げ解散)するが、逆に政党の勢力を伸ばす結果となり、軍部に見放され4カ月で総辞職。国民からは「何もせんじゅうろう内閣」と呼ばれた。

・1983年 カレン・カーペンター
カーペンターズのヴォーカル。32歳で急性心不全で死去。過食と拒食を繰り返す摂食障害が体に負担となっていたとされる。