息子へ。東北からの手紙(2014年1月1日)その2

では、どうやって「前へ」を実現するのか。かけ声ばかりでは進めない。

初詣をした釜石大観音から北へ。大槌町の元旦の風景を見て回った時、お正月の音楽に引き込まれるようにして役場庁舎近くの小鎚神社に立ち寄って参拝した。

実はこの地方の伝統芸能である虎舞の呼び太鼓かと思って参道を歩いていったのだが、のぼって行った先に虎舞の姿はなく、かわりに炊き出しのテントが待っていた。

「お寒いでしょ。あったかいうどんとそばを用意してますから、食べていってや。たこ焼きとお餅もありますよ」

見るとテントには「関西風うどん」のプリントアウトが貼り付けられている。「関西では油揚げとだしが特徴です」といった、やはり手作りの看板も掲げられていた。

地元の人間じゃありませんからと言っても、手を引っ張って「まあ、食べていってや」と勧められるままに、うどんをいただいた。出汁の利いた関西風のうどんだった。たこ焼きも関西風かなと欲を出してテントに行くと、「ゴメンなあ、たこ焼き売り切れなんや」とのお言葉。欲かいた自分が悪かったんやと引き返そうとしたら、「たこ焼き、いまできるさかい、1分待っといてんか」との声がテント奥から。15秒もしないうちに「すまんかったな、ほれたこ焼き」と手渡された。

外側がかりっとしてて、中はジューシーな大阪たこ焼きだった。

たこ焼きをはふはふ食べながら、境内に並べられたテーブルをよく見ると、お茶のペットボトルと紙コップやらウエットティッシュやらが、4席に一組ずつくらいセットされている。テーブルのそばではジェットヒーターがうなりを上げていて、新春の寒気もなんのその、テーブル周りはぽかぽかだった。

受け答えから関西から来たボランティアの方がたなんだろうとは察しがついたものの、テントにものぼり旗にも一切まったく団体名らしきものが書かれていない。

いったい何でどうして大槌で関西の方が炊き出しをやってらっしゃるのか、容器を返しにいきながら話しかけてみると、

「ああ大阪の生協なんや。お宅はどこから?」

今日は静岡から来てますと答えると、「そか、お互いがんばりましょ」と、呼び込みやゴミの整理などに忙しそうに立ち回り、まったく取りつく島もない。

どんな団体ですとか、どんなつながりでとか、コンセプトはなんでとか、そんな余計なことはよろしいの。やってることだけ。それだけでいいでっしゃろ。

あえて会話を遮るかのように動き回るスタッフのおっさんの背中に、そう書いてあるように思えた。

そういえば、2013年3月11日、「がんばろう!石巻」の看板の場所にも神戸からコーヒーを振る舞ってくれる人たちがいた。看板に「神戸から」とは書かれていたが、神戸のどことかどんな団体とか、そんなものは一切掲示されていなかった。「がんばろう!石巻」の黒澤さんが、「阪神淡路を経験されている人たちだから、分かってくれているんだよね」と話してくれたのを思い出した。

かかわれば変わっていく

どうやって「前へ」を実現するのか――。

それは「つながって行く」ことでしかなしえない。つながりを広げて深めて高めていくだけだ。

と、そんなことを口で言っても、牧歌的な幻想にとらわれてるんじゃない! と厳しい声が飛ぶかもしれぬ。

それでも、あえて自分は、つながること、つながっていくことだけだと言い張りたい。

大阪から来た生協の人たちは、どこの生協ということすら教えてくれなかったが、前夜の年越しそばの炊き出しから元旦昼間の炊き出しまで滞在したら、きっとその後は大阪にとんぼ返りだろう。大阪に残った仲間たちは、大槌に送り出したスタッフの分、新春初売りの準備や運営など殺人的に多忙な年末年始を過ごしていることだろう。送り出した大阪の人たち。強行軍で東北にやってきた人たち。そして迎え入れ、感謝の言葉でつながっていった東北の人たち。

そのつながりを、牧歌的な幻想なんて言える人間がいるだろうか。

看板なんか出さない。なんで炊き出しやってるかなんて理由を言うだけ野暮だ。ただ、笑顔が見たい。ありがとうと言い合いたい。そのつながりこそが、「前へ」を本当のものにする。

自分も昨年一年間、たくさんの人と会ってきて、自分自身が変わってきたことを感じている。自分が変わるくらいだからきっと相手もちょっと変わったはず。つながれば、つながったところが少し混じりあう。ただ集まるだけじゃない。ちょっと混じりあいながらつながることで、ことを前へ進めていく。

被災地も、原発も、この国も、世界平和も。

そんな意味をしっかりと詰め込んで、「今年は、前へ!」

文●井上良太