[12月23日という日]安政東海大地震の日

1854年12月23日、安政の東海大地震発生

嘉永七年甲寅十一月四日己巳の辰下刻(1854年12月23日午前8時~9時)、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む、駿河トラフを震源とする巨大地震が発生。最大震度は駿河湾岸、甲府盆地での震度7。三重県から神奈川県までの広い範囲で震度6。大坂でも震度5~6の揺れを記録したとされる。マグニチュードは8.4とされている。

地震計もマグニチュードという概念もなかった江戸時代の地震なのに、震度やマグニチュードが推定されるのは、古文書等の記録による。とくに幕末の安政期の地震であったため、多くの資料が残されていて、震度等の推定の精度は高いと考えられている。

・東海道の三島宿は家屋が一軒も残らず倒壊した上、火災で焼失。
・静岡市の駿府城は門や櫓、石垣が倒壊したほか城下が壊滅。
・大阪では四天王寺が壊れた。
といった記録文書のほか、寺院に残された過去帳(死亡記録)や、過去帳が残る寺院の被害記録(被害の有無の記録のほか、被害があった場合には修復の記録なども詳細に残されるケースが多い)などから、安政東海地震の被害状況は調査・推定されている。

津波被害も甚大で、千葉県銚子市から四国にいたるまで各地で津波被害の記録が残されている。伊豆半島の下田港にはロシアのプチャーチンが乗船したディアナ号が停泊していたが、津波により竜骨や舵を失うなど大きな被害を受けた(修繕のため西伊豆の戸田へ廻送中に沈没)。下田では家屋の8~9割が失われたとの記録が残されている。

安政東海地震発生から32時間後には、安政南海地震が発生する。両地震による被害が重複する紀伊半島では、いずれの地震による被害かが判然としないケースも少なくないという。さらに40時間後には豊予海峡地震も発生する。安政東海地震と安政南海地震は連動して発生したと考えられており、さらにこれらの巨大地震によって蓄積された地殻の歪みが、安政江戸地震、飛越地震などの直下型地震を引き起こして行った。

相次ぐ地震発生に江戸時代の人々は何を感じていただろうか?
安政2年に江戸を襲った直下型の安政江戸地震の後には、庶民の間で「鯰絵」が大流行したという。どれだけ流行ったかというと、幕府が鯰絵禁止の高札を出したほどだ。
不安と躁状態が同居する奇妙な精神状態は、どこか現在にも共通するように思える。

歴史の中の12月23日

▼1941年 太平洋戦争で日本軍がウェーク島(ウェーキ島)を占領
ハワイとグアム、サイパンの中間に位置するウェーク島に対する日本海軍による上陸・占領作戦は、太平洋戦争開戦の12月8日にはじまったが、装備や兵力の少なさ、米軍の抵抗によってこの日ようやく終了した。しかし翌年以降、太平洋全域での連合軍の反転攻勢の中、終戦に至るまで再占領はされないもののウェーク島守備隊は完全に孤立。潜水艦によるわずかな食料輸送も途絶えがちとなり、栄養失調や病気が続出した。終戦時には約半数の兵が栄養失調により命を失ったといわれる。

▼1942年 大日本言論報国会設立
言論統制を行っていた内閣情報局の指導により、満州事変以来続く戦争に協力的な姿勢だった評論家などが会員となり設立され、戦争遂行キャンペーンを展開した。会長は徳富蘇峰が選ばれた。高坂正顕、高山岩男といった哲学者、文学者、法学者などが参加。婦人運動家である市川房枝も名を連ねた。

▼1947年 トランジスタ発明の日とされる日
トランジスタを誰がいつ発明したかについては諸説あるが、実用化につながったという点からアメリカのベル研究所のジョン・バーディーンとウォルター・ブラッテンが彼らのグループリーダーであるウィリアム・ショックレーに促されて、ベル研究所の上司たちにゲルマニウム、プラスチックと金の針による半導体増幅器を実験して見せたこの日が、トランジスタ発明の日とされている。

▼1948年 極東軍事裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7名の処刑執行
日本の降伏後、連合国が日本の戦争責任者を裁いた極東軍事裁判(東京裁判)で、死刑判決が下された7名の絞首刑が行われた。

・板垣征四郎(陸軍大将:中国侵略・米国に対する平和の罪)
・木村兵太郎(陸軍大将:英国に対する戦争開始の罪)
・土肥原賢二(陸軍大将・諜報部門のトップ:中国侵略の罪)
・東條英機(陸軍大将・内閣総理大臣:真珠湾攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪)
・武藤章(陸軍中将:一部捕虜虐待の罪)
・松井石根(陸軍大将:南京事件)
・広田弘毅(内閣総理大臣:外相として南京事件を止めなかった不作為の責任)

▼1958年 東京タワーが営業を正式に開始
12月7日にプレオープンしていた東京タワーで完工式が行われ正式オープンした。電波塔としての放送開始は翌1959年1月10日のNHK教育テレビジョン。

▼1982年 カード式公衆電話第一号設置
コイン専用の赤電話、ピンク公衆電話、青電話、黄電話など、知っているかどうかで世代が分かる。

この日が誕生日

◆1790年 ジャン=フランソワ・シャンポリオン
フランスの考古学者。ロゼッタ・ストーンに書かれた文字、ヒエログリフを解読。

◆1812年 サミュエル・スマイルズ
イギリスの医師で作家。文学史の教科書に登場する「西国立志編」の原作者。

◆1929年 今井敬
日本の実業家。新日鉄代表取締役、経済団体連合会(経団連)会長、日本原子力産業協会会長、日本テレビ放送網株式会社取締役など歴任。新潟県知事泉田裕彦後援会相談役も務める。

◆1933年 今上天皇
第125代天皇

◆1951年 笑福亭鶴瓶
落語家、お笑いタレント。テレビ、ラジオのほか映画出演も多い。

◆1954年 庄野真代
歌手、シンガーソングライター「飛んでイスタンブール」「Hey Lady 優しくなれるかい」など。2006年、NPO法人国境なき楽団を設立し、フィリピン、ベトナム、インドネシア、トルコなどで楽器支援・コンサート活動など行っている。

◆1960年 宮部みゆき
日本の小説家。「火車」「模倣犯」 「ぼんくら」シリーズなど、ミステリー、サスペンス、時代小説など幅広く活躍。

この日亡くなった人たち

・1596年 服部正成(半蔵)
徳川家康の家臣で徳川十六神将のひとり。忍者(伊賀甲賀者)を指揮したとされる。半蔵門は門前に服部屋敷があったことにちなむとされる。

・1834年 トマス・ロバート・マルサス
イギリスの経済学者。「人口論」で「人口は幾何級数的に増加するが、食糧生産は算術級数的にしか増加しない」と説いたのは有名。ダーウィンの進化論にも影響を与えたとされている。

・1948年
広田弘毅・松井石根・武藤章・東條英機・土肥原賢二・木村兵太郎・板垣征四郎
東京裁判で死刑判決を受けたA級戦犯7人が、巣鴨プリズンで処刑された。処刑後遺体は火葬され、遺灰は東京湾に散骨されたが、火葬場に残された遺灰がひそかに回収され寺院に預けられたとされる。

・2001年 ジャック・マイヨール
フランスのダイバー。10歳の時、日本の唐津でイルカと出会い、後にフリーダイビングで数々の記録を打ち立てる。リュック・ベッソンによる映画「グラン・ブルー」に描かれ、世界中に知られた。現地時間の12月22日、エルバ島の自宅で自殺。