息子へ。被災地からの手紙(2013年8月24日)

浜松からフクシマへ

夜明け前の山の上に鉄塔が孤独に立っていた。

夜行バスが目的地に近づくにつれて、常磐自動車道を走るバスの右手遠くには、うっすらと朝焼け。
そして左手には、闇につながる蒼く深い空から、ひとつ、またひとつと、孤独な鉄塔が窓の向こうに現れる。

高圧電線で電気を都会へ送る送電鉄塔は、阿武隈山地の山中に点々と、尾根をめぐり谷を越えて続く。ちょっと開けた場所からは、4基も5基もの鉄塔が見渡せる。壮観だ。

走る車中から遠望する鉄塔は、のろのろと動いているようにも見える。
まるで、なだらかな山の上につっ立って、
どうしていいのか分からずにただ立ちすくんでいるしかない怪獣のように。

鉄塔と鉄塔が電線でつながれているのは明らかなのに、夜明けの青い空に突っ立つ鉄塔の孤独感はなんなのだろう。

昨日見た女川中学バスケ部の、8人の彼女たちの手と手はしっかりとつながっていた。目で見える電線のようなもので縛られているわけじゃなかったけど。

鉄塔は電線でつながっている。典型的な田舎につくられた発電地帯から大都会まで、それこそ日本中をつないでいる。

車窓の外を飛ぶように流れていく鉄塔のひとつひとつによって、日本中の電気がつながれている。原発からスマホの充電器まで。火力発電理由の値上げのニュースから電気料金の振替銀行口座の残高まで。

「フクシマ」なんてカタカナで呼んで特別視しているような場合じゃない。

俺たちは追いつめられた。

俺たちみんな、共犯者であることを逃れえない。

俺たちは孤独な鉄塔のようであってはならない。