父島のトレッキングツアーに参加させていただいた。
トレッキングとは言え、丸一日時間があるので、島中のあちこちを案内してもらう。
そんな中、ガイドのクニさんが連れてきてくれたのが、二見港のすぐ近くのこの場所。
「ジョージ・ブッシュ元米国大統領来島記念」
と、書かれた看板があり、小笠原の固有種・ノヤシが植樹されている。
「へー、ブッシュ大統領もこの島に来たんだ」
僕はこれを見て、ただそう思った。この自然の美しい小笠原には、国内国外問わず、世界中から多くの人が訪れる。きっとブッシュ大統領も、そんな美しい島に魅せられてここに来たのだろう。そんな風にしか、僕は思わなかった。
ところが、そういう簡単な話ではない。
「アメリカの未来を変えたかも知れない場所」
「ここはアメリカの未来を変えたかも知れない場所なんだよ」
ガイドのクニさんが話してくれた。話は太平洋戦争時にさかのぼる。そう、ブッシュ元大統領とは、41代目のジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュのこと。いわゆるパパのほうだ。
―――1944年9月2日、当時20歳、ブッシュ元大統領が若き軍人だったころのこと。彼は父島の無電塔の爆撃を任されていた。この無電塔はアメリカ軍の飛来を感知し、日本国内に空襲警報を発する役割を担っていたため、これを破壊することで、アメリカ軍はより戦局を優位に進められるとのこと。
ところが、彼を含む3人が小笠原諸島の上空を飛行中に、父島に拠点を置いていた日本軍から対空砲火を受けてしまう。ブッシュ元大統領はとっさの判断でパラシュートを開いて脱出。着水したのが父島の海の上だったという。仲間の2人はここで戦死した。その後の彼は、運良く追手から逃れることができ、数時間後、仲間の潜水艦によって助けられた。
当時、父島にて任務についていた日本軍は、捕虜を虐殺し人肉食を行うなど、残虐な事件を後に起こしている(小笠原事件)。少しでもヘタをすれば、ブッシュ元大統領は間違いなく死んでいただろう。とのこと。
だから、小笠原はアメリカの未来を変えたかも知れない場所。
クニさんは表情を変えずに説明をしてくれた。
2002年、ブッシュ元大統領は、戦死したかつての仲間の追悼と日米友好を目的に、父島を再び訪れたそうだ。
同じ景色なのに
クニさんは色々な場所へ案内してくれた。道なきジャングルさえもお手の物。小笠原には色々な景色がある。
澄んだ海はもちろん美しい。
ただ、見渡してみると至る所に戦争の爪痕が、当時のまま残っている。
境浦地区からは沈没船「濱江丸」が見える。父島ではわりと有名な景色だが、歴史を知っている、知らないではまた見え方も違ってくる。
クニさんは、「この日の仕上げに」と、崖の上へと誘ってくれた。
絶海の孤島から眺める気持ちの良い景色。
穏やかな風が吹く。
戦時中、ブッシュ元大統領が見た景色も同じ景色である。
けれど、見え方はまったく違ったはずだ。
不思議な気分に陥った。
まだまだ「島記事」あります。
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