陸前高田の町の中心部で、不思議な物体に出会った。
地面から鉄線の束が湧きだして、踊るように輪を描いている。
いったい何だろう?
地面から電柱の鉄筋が “ 生えている ” のは、あちこちで見かけるが、こんなの初めて見た。
鉄線の束のところどころに、亜鉛メッキされた金属バンドが残されている。
電柱であることは間違いない。
たとえば信号機だったり、トランスだったり、支柱だったり。電柱は鉄筋コンクリート製の中空の柱でしかないから、何かを取り付ける時には必ず金属製のバンドが使われる。
ちなみに現在、電柱の主流が鉄筋コンクリート製なのは、強度が高く、品質の揃った規格品を作れる。さらに大量生産にもある程度向いているから。
ただのコンクリートではなくて、中に鉄筋が入れられているのは次のような理由による。
砕石や砂などをセメントでつないだコンクリートは、圧縮方向の力にはめっぽう強いが、引っ張り方向の力が掛かると弱い(脆い)。これに対して鉄材は、引っ張り方向の力には強いが、圧縮する力にはすぐ曲がってしまう。
そんな正反対の特徴を持ったコンクリートと鉄材を合体させることで「いいとこどり」したのが鉄筋コンクリートだ。柱そのものは中空構造でありながら、縦方向に鉄筋を配することで、水平方向の力に対して、コンクリートの圧縮強度と鉄筋の引っ張り強度が同時に発揮される強靭な構造になっている。
もっとも鉄筋コンクリートの用途全体からみれば、電柱はほんの微々たるものでしかない。大きな力に耐えられ施工性もよいことから、20世紀以降、人類が作ってきた土木・建築構造物の大半で使われてきた。現代社会を支えるもっとも基本的かつ重要な建築素材であるといえる。
そんな鉄筋コンクリート製の電柱が、どうしてこんな姿になってしまったのだろう?
もともと根っこだったのはここ。
よほど大きく揺さぶられたようで、コンクリートがひとかけらも残っていない。
地中には掘立状態で電柱下部が埋まっているはずなのだが…。
電柱のちょうど真ん中あたりには、別の壊れた構造物が絡みついている。コンクリートの状態からして工場で作られたものではない。現場打ちされた側溝か何かの残骸だろう。地面にあったものが破壊されて、電柱の真ん中あたりに絡みついているのだ。
電柱として立っていた頃のてっぺん付近。
金属バンドに寄り添われるように、辛うじてコンクリートの断片が残る。
鉄線の流れを追うと、根っこから縦に輪を描いたのち、地面に水平にもう一回転して、最初の輪の中に先端部分を入れる形になっている。
つまり数字の「8」や「&」に似た形に変形しているのだ。
もともと地面からまっすぐ立っていた電柱、しかも現代文明を支える堅固な建築材である鉄筋コンクリートの電柱が、どのようなプロセスでこんな姿になってしまったのか。
押し寄せる津波。
激しい引き波。
水位の高いところから低いところへ、
うねるように動き続けた津波。
建物や車など硬くて重たいものがぶつかってきて、折れ曲がり鉄筋が露出した傷口が津波によって押し広げられ、鉄筋のまわりのコンクリートがこそげ落とされ、巨大な津波の動きに翻弄された末に残された形――。
たぶん、いずれ撤去されてしまうことだろう。
しかし、残すことができれば、津波の脅威を示す、インパクトの大きな震災遺構になると思うのだが。
(しかし、この時期まで、こんな姿を残しているのだから、もしかしたら、保存したいと考えている誰かがいるのかもしれない。そうであってほしいと願う。)
津波で破壊された電柱の鉄筋
岩手県陸前高田市高田町館の沖
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)
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