4.すぐに集まる、すぐに楽しむ、やりたいことはなんでもできる

民宿恵文(えみ)での“のんかた”、一番奥に座る白髪の男性がヨットマン

島を存分に楽しむオヤジたち

夕方に差し掛かるころ、湯向(ゆむぎ)集落の公民館へ。山地さんが「卓球でもやろうか」と言います。確認をしておくと、湯向集落は民家が10軒程度しかなく、人口も10人程度。それを理解していただけに、まさかここで卓球をするなんて想像もしていませんでした。

公民館に近づいてみると「よっしゃあ!」「ッサァ!」と声が漏れています。中ではすでに熱戦が繰り広げられており、合計5人。山地さん以外の3人は、僕にとっては初対面の人々でしたが、この人たち、なぜかやたらと卓球が上手いのです。

「よし、じゃあ次はお前!」

中でもダントツで強い中年男性が対戦相手に僕を指名しました。僕はと言えば卓球は素人も良いところで、それらしい経験と言えば、高校時代の体育の授業までさかのぼります。恐る恐る挑むのですが、もちろん相手にはなりませんでした。

「なんだ、山地くんのとこに遊びに来たのか」

卓球が終わってから改めて自己紹介をすることに。順序が逆のような気もしましたが、突然卓球に混ぜてもらえたことに不思議な感覚を覚えました。子供のころ、誰彼かまわず、ふとその場にいた連中で遊びだしたような、少し忘れかけていた感覚です。こうして卓球がひと段落。解散したかと思えば、今度はキャッチボールに誘われました。

誘ってくれたのは、広島から口永良部島に移住したという松本章さん。湯向集落の住人では無いそうですが、この日のようにちょくちょく遊びに来るのだそうです。年齢は60代半ば、ヒゲをたくわえ、ベレー帽の姿で島を出れば「ちょいワルオヤジ」と言えそうな風貌にも見えました。そんな人が、卓球に負けては悔しそうに声を上げ、用意していたグローブを渡しては「キャッチボールしようぜ」と声を掛けてくれるのです。ふたまわり以上年上の年配と“遊ぶ”なんて、いつ以来のことでしょうか。

島では写経や温泉を楽しみ、スポーツにも精を出す松本さん。座右の銘は「悠々自適」。リタイア後、「悠々自適を求めているうちに、この島にたどり着いた」と笑う姿が印象的でした。

「その日、島で何をしたか」を記録しているノートを見せてくれた

薄暗くなり、キャッチボールを終えると、「ヨットマンのところへ行こう」と松本さん。実は口永良部島に着いてから、よく耳にしていたのが「ヨットマン」という名前でした。何かにつけて、島の人との会話の中によく登場していたので、なんとなく「島の有名人なのだろう」と思っていました。

松本さんに連れられて訪れた先は民宿「恵文(えみ)」。先ほどの卓球でダントツに強かった男性が出迎えてくれました。どうやらここはこの男性が一人で切り盛りをしているようです。そして、さっきは名前も知らないまま、一緒に卓球を楽しんだこの人こそ、有名なヨットマンでした。そんなヨットマンや、卓球をしていたころには見かけなかった人を含め、7人でのんかた(飲み会)をすることになりました。

そして、またここが居心地が良いのです。普通なら、人見知りな僕でなくとも、初めてのグループの中で過ごすのは容易ではないと思います。が、ここではそれを感じることはありません。

「どこから来たの?静岡?俺は以前掛川におったと」

「明日帰るの?みんなここから屋久島まで泳いで帰るんだよ」

「昨日からおったとか。昨日来りゃ良かったのに」

立て続けに質問やジョークが飛んできます。飾り気のない空間のなか、なんだか急にモテはじめてしまいました。

湯向集落にある民宿「恵文」

食卓にはサラミや駄菓子のカツなどの市販のおつまみ。それにビールや焼酎がずらり。そうかと思えば「ほら、せっかく来たんだからこれ食べなさい」と焼かれたイセエビや島で獲れた貝を出してくれました。市販のお菓子と島で獲れた新鮮な魚介類が、当たり前のように同じテーブル、同じ皿の上。しかも僕に食べなさいと言ってくれます。

「こんな大ぶりのイセエビ、高級品じゃないか!」と頭では思うのですが、見た目はそれを感じさせません。しかし、口に含めばプリプリで噛むほどに弾けるような歯ごたえが抜群。貝は貝で甘辛い味付けが素朴で旨く、ご飯が欲しくなります。

「山ブドウのお酒作るけど、氷は何個いるね?」

「これはジンガサっていう貝、これはおんじょの背中のみそ和え。おんじょっていうのはこっちの言葉で“おじいさん”なんだけど、グズマっていう貝のことね」

と、次から次へと食べ物がやってくるのですが、よく見ると、宿の主であるヨットマンは笑いながら酒を飲み、お客さんのはずの人たちが厨房に出入りしています。その様子はもう完全に慣れたもので、なんとも自由です。だからと言ってこれが特別な日かと言えば、そうではなく、日々気が向けばこんな調子なのだとか。

ヨットマンはこの民宿を経営するほか、漁船「喜丸」を操る漁師という姿も。卓球のほか、素潜りとマラソンが得意らしく、どれも年齢を感じさせないほどと聞きましたが、見るまでもなく、簡単にイメージできてしまいます。

「ヨットは活きの良さそうな観光客を捕まえては一方的に勝負を挑むの。それで勝つのが嬉しいんだよ」

と松本さん。僕が「なぜヨットマンなんですか?」と聞けば、答え飽きたかのような表情で、「名前がヨシトだから」と言ってビールを飲み干し、「そんなことより・・・」と話題を変えてしまいました。

人懐こさに溢れた空間でののんかた。またお邪魔したいと思ったし、その時はきっと快く受け入れてもらえるだろう。そんな気がします。

とれたてのイセエビをごちそうになった

「口永良部島は元気だからよ」

民宿恵文(えみ)での宴会がお開きになると、今度は「小中学校の体育館でバレーボールをするから行かないか」とのこと。この日は金曜日。なんでも毎週金曜日は19時から島民の有志でバレーボールをしているそうで、「観光客は戦力だから」と言われ、酔いも醒めぬままに参加することになりました。

この日は、口永良部島の活性化について研究しているという慶応大学の大学生たちが多く島に滞在しており、最終的に集まった人数は25人ほど。島民の参加者にしても、喋ってこそいませんが「あ、あの人昨日○○で見たな」という人ばかりです。ここまで来ると、島民も滞在客ももはや関係ありません。25人と言えば僕が通っていた小学校、中学校のひとクラスの人数ですが、本当に学校のクラスみたいだなとすら思えました。「まぁ、ここの人たちは本当に元気だな」と感じます。

「お前は元気にちょこまか動くなぁ」

必死にボールを追っていたら、僕までそんなことを言われました。みなさんに影響されたのか、僕もさっきまでの酔いはどこへやら、すっかり元気になっていました。これも口永良部島のパワーでしょうか。

バレーボールが終わると時刻は21時過ぎ。すっかり夕方の酒も抜け、今日はお開きかと思いきや、久木山運送の社長・久木山栄一さん宅に招かれることになりました。久木山運送の2代目の栄一さんは、強面ながら人当たりの良い明るい雰囲気というイメージです。仮に山地さんが島をPRする営業マンだとすれば、栄一さんは島の若手を率いるリーダー的存在にも見えます。そんな栄一さん宅に集いも集って合計15~16人。出てきたのはお菓子、氷、焼酎!また宴会です。

バレーボールは学校の体育館で、毎週金曜日に行われている

「あれ、ごめん。君は名前はなんだっけ」

栄一さんとの会話の最中、ふと僕はそんなことを言われました。

「あんたはほんとに人の名前覚えないよね」

と、奥さんの裕希さんが呆れています。自宅にホームカラオケを備える栄一さん宅では、慶応大学の学生たちが交互に歌っていました。カラオケボックスさながらのホームカラオケを備えているということも驚きですが、この島でまさかカラオケができるなんてもっと驚きです。学生たちがひとしきり歌い、たまたま順番を回してくれたので、僕も好きな曲を入れ、力の限りに熱唱してやりました。それこそ血管が浮き出るくらいだったかもしれません。僕自身それまで大人しくしていたためか、その場は唖然とし、やがて笑いに変わりました。

「よっしゃ、お前の名前覚えた!」

栄一さんが爆笑しています。名前を覚えてもらう必要があったのかはわかりませんが、この島に来たからには、自分で動かなくてはもったいない。改めて、そんな気がしたのです。卓球も、キャッチボールも、バレーボールも、のんかたも、そしてこのカラオケでさえ、この島を楽しむために誰かが持ちこんだものでしかありません。人々が集まり、楽しむため、この島の人たちは工夫を惜しまない。その様子が随所にあり、僕は確かにそれを見てきました。

「離島だから不便というのはありますよ。しかもこの島には何もない。でも、何もないからこそ、何をやっても良いんですよ。やりたいことはなんでもできるんです」

島についた日の夜、山地さんがそんな話を熱く語ってくれたことを、ふと思い出します。たまらず熱唱した僕のそれに意味があったのかはわかりませんが、栄一さんが最後に声を掛けてくれました。

「まぁ、また来いよ。口永良部島は元気だからよ」

ライターという立場の僕は、書き物から島の魅力を伝えていくことで「離島振興」に貢献する活動をしたいと思いました。口永良部島はその第一歩になる気がします。では、この数日間の滞在でこの島の魅力を伝えきれるか。それはちょっと難しいなと思います。きっとまた、再訪します。

出てきたのはお菓子、氷、焼酎!