津波から生還したキヨ子さんが、生きる力を取り戻した理由

福島県いわき市久之浜町・シューズショップさいとうの斉藤キヨ子さん

まずは、じっくりお顔を見てください。震災の後、少し足が弱くなったんだけど、杖をついた姿なんて見られたくないから、キヨ子さんは娘さんが運転してくれる車から、しっかり歩いてお店に向かうそうです。とても美しくて、そしてチャーミングな「お母さん」。女性ならその気持ち、わかりますよね。杖をつきたくない気持ち。そして、本当はおばあちゃんなんて呼ばれたくない気持ち。そんな、きれいなお母さんが、あの日から体験されたことを話してくれました。

「湯本にいる孫から、すごい揺れだったから津波が来るかもしれないから逃げてね、って電話をもらってたの。店の中に水が入ってきたのは、そんな電話をしてた時。一気に来たから逃げようもなかった。どんどん水が上がって行ってね。受話器をどうしたかも覚えていないんです」

久之浜の商店街の中でも、斉藤キヨ子さんと娘さんの靴店は坂を上ったところ。実際に歩いてみると海からはかなり高さがあるように思えます。それでも津波は押し寄せてきて、店番をしていたキヨ子さんに逃げる余裕すら与えなかったのです。

「水だけじゃないの。がれきとかもどんどん店の中に入ってきてね、水はあっという間に天井まで上がったのよ。もちろん足も届かない。どうやって津波から逃れたのかよく分かんないんだけど、水の中で上の方へ泳いでた記憶はあるのよ。だって息ができないから少しでも上へ上へ泳ぐしかないでしょ」

キヨ子さんは小柄でチャーミング。どこにそんなパワーがあったのかと思う一方、でもこの人が生きていてくれて良かったと、笑顔で話すキヨ子さんを見詰めながら何度も思いました。

「どれくらい泳いでいたか分からないのよ。でもそのうち水が急に引いて行って。水の中のがれきとかがドアの隙間の方に流れて引っかかったの。自分はその時、がれきとかの上に立っているみたいな感じでね。偶然だったと思うのよ。もしがれきの下敷きになってたら、生きてないと思うもの」

キヨ子さんは4年前にご主人を亡くされています。「主人が守ってくれたのかなあ、なんて思うこともあるの」。きっとそうだと思います。

「でもね、水は引いてもまわりはがれきだらけで、店の中に閉じ込められちゃったの。頭まで水に濡れたから、もう寒くて寒くてね」

津波に呑み込まれ、水の中から這い上がって津波を逃れた人たちの中には、その後の寒さで亡くなられた方がたくさんいらっしゃいます。とくに高齢の方には、救助された後に亡くなった方も少なくありません。雪が舞うほどの寒さの中、店に閉じ込められたキヨ子さんが助かることができたのは、娘さんのおかげなのだそうです。

「外出していた娘が助けに来てくれたの。外は道もがれきだらけ。水も残っている中、じゃぶじゃぶ歩いて店に向かってる時に、『行くな、まだ津波が来るぞ!』と叱られたんだって。電柱に上ってた人から。でも、『お母さん、店にいるかもしれない。助けに行かなきゃ』って言って来てくれたの。外から娘の声が聞こえてね。がれきが溜まったところから、ほんのこれくらいの隙間ができて、抜け出しました」

キヨ子さんが手を広げた幅は30センチほど。それくらいの小さな隙間だけど、どうして隙間ができたのかは分からないと言います。それに、たった30センチくらいの隙間です。「どうやって抜け出せたのかも分からないの。でも、出てこられたのよね」。しかし、

「出て行ったけど、足が立たないの。泳いでいたからなのか、体が冷えていたからなのか、津波のことが怖くて、足に力が入りませんでした。娘におぶってもらって車まで行って、でも全身びしょ濡れで体が冷えていたから、娘の知り合いのところに行って、着替えを貸してもらって、それから湯本の孫のところに連れて行ってもらいました」

※湯本:いわき市湯本地区。湯本はスパリゾートハワイアンズで有名な町。広いいわき市の南の方に位置していて、久之浜からは約30キロ。車で50分ほどかかる場所。震災後の原発事故で、久之浜の多くの人たちが避難した場所ででもあります。浜風商店街がある久之浜第一小学校の子どもたちの中には、いまも湯本からバスで通学している人もいる、震災後の久之浜とは縁の深い場所です。

チャーミングなキヨ子さんは、久之浜・浜風商店街のアイドルのような存在です。浜風商店街に見学に来た人たちには、周りのお店の人たちが「このお母さんはね、津波に呑まれたのに生還したすごい人なの。握手してもらいなさいよ」なんて紹介してくれるそうです。キヨ子さんも訪ねてきてくれた人たちに、ご自身の体験を話して差し上げるそうです。

しかし、がれきの中から脱出し、娘さんと親戚の家に身を寄せた後、どんどん体力が落ちていったとキヨ子さんは言います。

「家にいてもね、何もする気がしないの。横になってばかりで、一時は体重が30キロ台まで落ちてしまったのよ」

お元気そうな現在のキヨ子さんからは想像できません。地震と津波、そしてお店が壊されてしまったことのショックは、想像できないほど大きかったのです。

「ご飯を食べる気にもなれないの。何もしたくない。歩くこともできなくなりました。ただ寝てるだけだったのよ」

そんなキヨ子さんが、現在の笑顔を取り戻せたのは、浜風商店街に仮設のお店を再開し、お店に出るようになってから。

「最初はねえ、とても1日はいられないと思ってたの。歩くこともままならないんですから。それでもね、お店に出ていると、みんなが気にかけてくれるのね。『お母さん、おやつに食べてね』とか、昨日は大福。今日はお菓子。みんながいろいろなものを持ってきてくれて、お茶したりしてね。お客さんにもなじみの人ができてきて、お店の商品には用はないのに『おばあちゃん、元気?』と訪ねて来てくれたりするんです」

きっとそのおかげです。明るくて元気な浜風商店街の人たち、お客さんたちとお茶して、おしゃべりして、おやつを食べて、そうして少しずつ元気と笑顔がキヨ子さんに戻って行ったのでしょう。

「お客さんにはね、100歳まで生きてねなんていう人もいるんですよ。100歳はちょっと大変だなあと思ったりするんですけど」

いえいえ大丈夫!みんなで「シューズショップさいとうのお母さんに100歳まで長生きしてもらう会」を結成しますから。長生きして、たくさんの人たちにご経験と生きる勇気と元気を与え続けてくださいね。

(内容を追加してお届けします)

●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)