2013年2月3日 宮城県女川町・石巻市
約1週間の東北から帰って来て、今日はちょっとだけお金の話をしよう。
女川で事業を新たにおこした人が、地元の方を雇おうとパート募集のチラシをポスティングしていた頃のお話。
「応募してくれた人たちの仮設住宅にお邪魔すると、どちらのお宅も不思議と家の中が暗いんです。玄関で立ち話をしていても、奥の方は真っ暗。昼間ですよ。自分は仮設に住んでいないので分からなかったのですが、一般的に仮設住宅の間取りは、玄関の奥にキッチンがあって、その向かいにバストイレ、奥の間が茶の間兼寝室で、窓は基本的に奥の間にしかありません。キッチンまわりには窓がないから暗いんだけど、電気代を節約するために昼間は電気をつけないんですね」
父さんも何カ所か仮設住宅にお邪魔することがあったけど、たしかに玄関奥のキッチンに電気がついていたことはない。奥の茶の間でさえ、昼間は電気は消されていて、長話で夕方暗くなってからとか、写真を撮らせてもらう時になってから、「よっこらしょ」とおばあちゃんが立ち上がって電気をつけてくれる。それが当たり前の光景だった。その時まで「電気がついていない」ということにすら気づかないくらいに父さんは迂闊だったんだけど、みんな、
電気代を節約しているんだ。
家も財産もすべて流されてしまったお年寄りたちに、「生き甲斐」を感じてほしいと手芸を始めた石田志寿恵さんも言ってた。
「プレハブでもいいから、みんなが集まって手仕事をできる場所があれば、いいな」
その理由は三つくらいあって、ひとつは引きこもり予防。もうひとつは狭い仮設では作業スペースがとれないから。そしてもうひとつが、「だって電気代も節約できるからね」ということ。実は、この電気代のことが切実なんだ。
昼間に電気をつけるのはたしかにもったいないことかもしれない。でも、そこまで気にして暮らしている気持ちって、想像してみたことあるか? もっと具体的に言うなら、年金だけで生活しているおじいちゃんやおばあちゃんたちの気持ち。
計算したことはないけれど、蛍光灯ならたぶん数十円もしないだろう。しかも、仮設住宅の中って想像以上に暗いんだよ。それでも、少しでも節約したい。
べつに東北の人たちじゃなくても、スーパーのチラシを見比べて、1円でも安いお店で買おうって人、たくさんいる。でも、その理由の切実度は違うと思うんだ。
もったいないから、1円でも安いところで、という気持ちは、言葉にすれば同じだけれど、東北の仮設住宅で暮らしている人たちの「もったいない」は、この先何年かかるか分からない復興、具体的には公営の復興住宅に入れるまでの時間をどうやって生き延びるかという意識からくるもの。東北以外の、多くの人たちの「もったいない」は、節約することで何か楽しいことにお金を有効活用しいたいというモチベーションに由来するもの。必ずしも言い切れるものじゃないのはもちろんさ。でも、意識のバックグラウンドに決定的な違いがあるように感じたんだ。
それなのにさ、仮設を訪問すると帰りにおばあちゃんやおじいちゃんたちが、何かお土産をくれるんだよ。「これ、持ってけ」って。お魚、牡蠣のたぐいはホテル住まいだからと遠慮するんだけど、コーヒーとかお茶とか、海苔とか、笹かまとか、手作りの何かとか、あと靴下をいただいたこともあったな。その気持ち、どう思う?
東北以外の場所から、たとえば石巻に来て生活している人たちにも今回はたくさん話を聞けた。その中でこんな話があった。
「スーパーにはできるだけ行かないようにしています。行くといろいろ欲しくなるでしょ。庭先の畑で穫れた野菜とか、知り合いになった方が届けてくれるお魚とか、工夫すればお金をできるだけ使わない生き方ってできなくもない。いっぽう、お金がどうしても必要な場面もある。だからこそ、お金はできるだけ使わないようにして暮らそうって、シェアハウスの仲間で話し合ってるんですよ」
その人たちは、できるだけ長く東北で活動したいから、その一心でできるだけお金を使わないようにしているんだ。
スーパーに行くとついお金を使っちゃうから、という言葉、ずしんと来たよ。できるだけ長く東北に住み続けたいからという気持ちもそうだけれど、その話をスーパーを経営している側に立って想像してみると、これは別の意味で大変なことだとも思った。お金を使うことで成り立っている世の中なんだから。
それでもさ、「できるだけお金を使わないことで生き延びよう」という現実は、ここに確かにあるんちゃ。そうするしかないという状況がたくさんあるんだちゃ。
さて、どうしよう。どうしたものか。
小さなお金の持っている意味を考えてみないか。たとえば部活の後に、「今日も疲れた〜」とつい買ってしまうペットボトルの飲み物。たとえば、学校帰りにコンビニで買ってしまうジャガリコ。父さんの酒代だってそうだな。
でも、今まで使われてきたお金が使われなくなることは、日本経済全体にだって影響する大問題につながるだろう。それでもね、考えてみることが大切だと思うんだ。たとえば、なくてもいいものなのに「つい」買ってしまうようなものは、減らしていった方がいい。たとえ経済全体の規模が小さくなったとしても、それとは別のいいもの、何かいいことが手に入るかもしれない。
石巻の人たちは「変わらなきゃ」と叫び続けている。「元あった石巻の姿に戻るなんてとんでもない!」とまで言っている人たちがたくさんいる。それが石巻の強さの源泉だろうと父さんは思うのだが、変わるということは石巻とか東北とかだけで実現できることではない。東北だけが変わろうとしたって、日本全体とか世界経済とかそういうもので、あっと言う間につぶされてしまうだろう。
変わることって、今日お前が買うコーラとか、肉まんとかに始まって、最終的にはお前が大人になった頃のこの国の形とかにつながることだと思う。その遠そうに思える時間の感覚を自分のものとして引き寄せて考えようとすることから、明日のこの国が始まるように思う。大げさな話ではないと、たしかにそう思う。
今日使うおこづかいの使い道、ちょっと考えてみないか。変化していくこの国の明日の姿を想像しながら。
今度は、いっしょに石巻だな。