復活は見えない。それでも雄勝で“海の仕事”に戻る
大津波の後の町の様子を見たことがある人なら、雄勝という地名を聞いただけで胸が締め付けられるような気持ちになるかもしれない。それほど被害は大きかった。海沿いの住宅も公共施設もほとんどが壊滅した。津波被害の後の雄勝の中心部に行っても、動いているのは瓦礫撤去の重機ばかり。住民の姿を見かけることはほとんどなかった。
大きな被害を受けた雄勝だが、それでも地域の9割以上の人たちは生き延びた。そして、中には海の仕事に戻っている人もいる。
雄勝の海とともに生きて来た「南三陸うまいもの屋 光洋」の上山政彦さんもそのひとりだ。
◆ 大きなホタテにびっくり10月24日、仙台市役所の勾当台公園で開催された「海の幸・山の幸 うまいもの復興市」に出店していた光洋のブースを覗いてみると、炭火で焼かれている雄勝産ホタテの大きさに圧倒された。殻も大きいが身の大きさ、厚みが半端ではない。
「雄勝のホタテは身が大きいだけじゃなくて甘くて旨い。海のすぐ近くに山があるからでしょうね。森のミネラルが流れ込む海だから、生育も早いし、美味しく育つんですよ。ミネラルが多いとホタテが食べるプランクトンが増えるでしょ。だから元気なホタテが育つんです」
ホタテの養殖は、昨年から一部で再開していたという。
「自分たちは半生(はんせい)貝って言うんですが、殻が5センチくらいのを11月に海に入れて、7月くらいには収獲が始まります。収獲までの期間が短いのがホタテのいいところです」
100平米の広さでは納屋も建たない
◆そんな話を聞きながら疑問に思った。津波にやられた町で、漁業や養殖業の復活は簡単な話ではないはずだ。町の様子について尋ねると、言葉のトーンが変わった。まなざしが鋭くなった。
「2~3年先すら見えないのが現状。だから、出て行った人も戻ってこれない。残っている人も仙台とか東京とかへ出て行くことを考えるようになる」
浸水区域がどうなるのか。住めるのか住めないのか分からない。行政の説明も高台移転の話ばかりなのだとか。
「しかも、高台移転の住宅は一軒あたりの広さに制限がある。作業をするための納屋も建てられないくらいの広さだ。納谷がなければ漁師さんたちは海の仕事はできない。仕事ができなければ、戻りたくても戻れない」
それじゃあ浸水区域のかさ上げしてくれと頼んでもなかなか話が進まない。自分の土地なのに工事規制があって手を付けられない。仕事をする場所がどうなるか分からない。住宅も商店もどうなるのか分からない。そんな状態では町の復活は至難のわざだ。
瓦礫撤去は進んでいる。でも、生活する場としての町のおかれた状況は大震災直後から大きくは変化していない。
上山さんは言う――。
心の瓦礫はまだまだ残ったままなんだ。
いろいろ難しいよ。でもやんなきゃないべあんなひどい津波の後だ、もう二度と戻りたくないっていう人もいるよ。そりゃ海は恐いよ。分かっているよ。でも海の近くに住み、海と関わって生活してきた人の大半は、いまさら「海のこの野郎!」なんてことは思ってないんだ。地震が来たらまず逃げろ。それはもう身にしみてる。
いま、6割7割の人が雄勝を離れている。人間でも7割の血が流れたら、助かるためには輸血が必要だっちゃ?
ありがたいことに、ボランティアの人たちの中に、雄勝に移り住みたいといってくれる人もたくさんいる。そういう人たちのためにも、生活できる環境がなければな。
子どもの問題でいったん離れているという人もいる。雄勝に残っている人たちは、みんなに戻って来て欲しいと思っているんじゃねえかな。雄勝の人たちが戻ってきて、外からの人たちも入ってこれるような環境にしていきたいんだ。
よく「大変でしたね」って言ってくれる人がいるが、本当は「大変中」なんだよ。 3年先も見えねえ、5年先も分からねえ。いろいろ難しいよ。でもやんなきゃないべ。
雄勝でがんばる光洋さんのホタテ紹介ページはこちらです。