その名の通り、硫黄のにおいが漂う・・・
太平洋に浮かぶ絶海の孤島で、沖縄では宮古島と同程度の緯度の南国。火山島で、現在も年間数十cmの隆起が進んでおり、温泉(硫黄泉)がわき出ている区域もあります。そのため、噴出する硫黄独特の臭いを感じることができます。かつて筆者は、硫黄島をめぐるツアーに参加した際、島から数キロ離れた船の上からでも硫黄の臭いを感じたほど。 また、現在一般の上陸は不可ですが、日本の歴史を語る上において欠かすことのできない島と言えるでしょう。戦前は1000人近い人口規模で、定期船は月1便程度ながらサトウキビをはじめとする作物の栽培を中心に産業が活発で、生活も安定していたと言います。その頃から、島の南部は当時の海軍省によって要塞化されており、日本の端に位置する島がゆえの、戦略上重要な島であったことを物語っています。事実、太平洋戦争が勃発し、戦局が悪化しはじめると、1944年には島民らが疎開。これが島民にとっての硫黄島生活の終焉となりました。以降は、23.16km2の小さな孤島に米兵が上陸しての大激戦。激しい戦闘の末、日本軍およそ2万人、米軍およそ7000人の戦死者を出したのは有名な話です。
結果、硫黄島は米軍に占領され、1968年に小笠原諸島と共に返還されるものの、自衛隊や国の関係者など、ごく一部の上陸が認められていますが、島民の帰島は叶っていません。現在もなお、戦没者の遺骨や遺品、不発弾などが残存すると言われ、常駐する自衛隊員らも含め、気軽に歩き回れる状況ではないようです。(自衛隊員でさえ立ち入りが禁止される区域もあるほど) 絶海の孤島であるため、2011年に世界遺産となった父島や母島と同等の自然環境を有していたと思われます。また、島の周辺を回遊する海鳥たちも内地では見られない種ばかりで、硫黄島3島を船でめぐるツアーが開催された際は、バードウォッチャーたちでいっぱいになります。
※ 硫黄島3島を訪れた際の記事です。【旅レポ】硫黄島に行く。~硫黄3島クルーズ~
硫黄島の見どころ
二ツ根浜
米軍が上陸したと言われる南方の海岸です。
再会記念碑
当時日本兵、アメリカ兵だった旧兵士らが昭和60年2月19日、40年ぶりに再会しました。両軍の兵士、遺族合わせ500名が抱き合って泣いたと言います。これを「名誉の再会」と呼び、記念碑が建てられています。
摺鉢山
平坦な島でありながら、端にぼこっとコブのような山が出来ています。標高169mで頂上からは島全体を見渡せます。
海上自衛隊航空基地
南国の島の風景からはやや異質な白い建物。旅客機とはまた違ったサイズの飛行機が離発着をします。
温泉浜
高温の水蒸気が噴出しています。地熱も40~50度に及ぶそうです。
小笠原村硫黄島平和祈念会館
慰霊祭や遺骨の収集など、特例により島に訪れた旧島民が寝食するための施設。
硫黄島の情報あれこれ
【名 称】硫黄島(いおうとう)
【所在地】
(地図)
【面 積】23.16㎢
【周 囲】
22.0km
遊 び
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食べる
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郷土料理
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変わりモノ
レモングラス、唐辛子
お土産に
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マスコット
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う た
故郷の廃家、硫黄島哀歌、孤島に祈る、硫黄島防備の歌
島内のルール
ごく一部の特例を除き、基本的に一般の上陸は不可
硫黄島へのアクセス
フェリーを利用する
一般航路なし
※ 小笠原海運株式会社により、年に一度、硫黄島3島を船でめぐるツアーが開催されています。(上陸不可)
(島プロフ一覧)