関西最大の離島・淡路島。元々は・・・
徳島県に属していた。
言うまでもないですが、淡路島は現在兵庫県に属します。淡路市、洲本市、南あわじ市の3市体制ですが、そもそも一つの島に複数の市町村を有すること自体珍しい。それだけに大規模な島であると伺えます。(かつて2005年までは1市10町体制だった)
玉ねぎをはじめ、淡路牛やその肉を使った淡路島コロッケ、また海産物など名だたる名産品が揃っている淡路島。明石海峡大橋が開通したことでアクセスも非常に良くなり、離島とは思えないほど栄えた島と言っても良いでしょう。一方で、美しい自然との調和も図られており、年中観光客に人気です。
さて、そんな絶大な存在感を誇る淡路島だけに、所属する県が変わるなどにわかに信じがたい。時代は幕末にさかのぼります。かねてより確執関係にあった「徳島本藩(蜂須賀家)」と「徳島藩洲本城家老稲田家(稲田家)」。立場上同格だった両者ですが、蜂須賀家の方は戦国末期に豊臣秀吉に仕えていたことが功を奏します。 明治維新後の改革により、「蜂須賀家」>「稲田家」となったのです。
こうなると面白くないのは稲田家。自分たちが拠点を構える洲本を中心に、淡路を徳島本藩(蜂須賀家)から独立しようという動きを見せたのです。 明治新政府に独立を働きかける稲田家の不穏な動きを察知した蜂須賀家。稲田家の行いが面白くなく、ついには徳島や洲本にある稲田家を襲撃してしまいました。対する無抵抗だった稲田家は、死者や重軽傷者が多数出てしまったのです。明治3年のことです。 これらの騒動を稲田事件、もしくは庚午事変と呼びます。この一連の内輪もめに調査を入れたのが、明治新政府。 蜂須賀家の中でも内乱の首謀者10人をあぶり出し、斬首・切腹刑にしました。同時に、蜂須賀家と稲田家が拠点を構えた徳島から、淡路島を取り上げられるという処置が下されます。この騒動を経て、淡路島は兵庫に編入したのです。
簡単に言うと、徳島さん家の双子の兄弟、兄(蜂須賀)と弟(稲田)が兄弟げんかをしていたところ、怒ったお母さん(新政府)に淡路島を取り上げられた。ってイメージでしょうか。・・・歴史をこんなたとえ方にしてしまって良いのかは知りませんが。(笑)
(淡路SA内観覧車より明石海峡を一望) (海に続く名もなき川のせせらぎ。昔ながらの風景を感じる。)
◇参考資料◇ 『封印された日本の離島』 (2010年 彩図社)