名物教師、越境をものともせず
高校のとき、昭和の漫才師「瀬戸わんや」にそっくりな先生がいた。当然みんなからは「わんや」と呼ばれていた。教わったことはなかったが、なんとなく気のいい先生だった。
「宴会の時、酒癖の悪い社会科の教師がマグロの刺身をその先生に投げつけたところ、つるっとしたその頭に刺身がくっついたが、先生は頭にマグロを乗っけたまま機嫌よく酌をして回っていたらしい」という噂が広がったため、その後は一部で「さしみ」とも呼ばれていた。
その先生は僕らが2年生になる年だったか、隣の隣の市の高校へ転任していった。
大学生になって、クラスに偶然その高校出身の奴がいた。
「うちの高校から、そっちの高校に行った先生がいたよ」と話すと
「“わんや”だろ?」と嬉しそうに返ってきた。40キロ以上離れていて、生徒間の交流がない高校でもちゃんと「わんや」と呼ばれていたのだ。きっとその次の高校でも「わんや」だったに違いない。生涯一わんや。
最終更新: