夏休みに広島へ行きたいと息子が言ってきたため、家族5人で広島平和記念公園と広島平和記念資料館を回ることにしました。
被爆証言
広島平和記念資料館では、被爆証言として河野キヨ美さんのお話がありました。
被爆者のお話を間近で聞くことが今までになかったため、家族で拝聴することにしました。
この日のお話ではないのですが、河野さんのお話がYou Tubeで配信されているためぜひご覧ください。
ヒロシマの被爆体験講話 河野 キヨ美 (こうの きよみ)証言者
広島平和記念資料館が委嘱する証言者 河野 キヨ美 (こうの きよみ) さんによる被爆体験講話です。
広島を訪れた修学旅行生に向けて、自らの被爆体験と平和への思いを語った内容です。
お話を聞いて
被爆証言を聞いたあとに、初めて家族で広島の原爆投下について話をしました。
文字にするとなんだか味気ないのですが、戦争がどれだけ酷いものかというのを感じ取ったようでした。
夫:
仲の良い友達が亡くなった話のときの河野さんは、他のお話のときとは違うように見えた。
河野さんのアメリカに対しての強い怒りを感じたし、時間が経ったからって変わることはないんだなぁ。
義母:
被爆した人が水を欲しがっているときに、「水をあげない方がいい」という根拠のないデマが流れたという話が印象的だった。
どうせ死んでしまうのなら、あげればよかったのにと思う。
息子:
青・赤・紫色の死体という話が印象的だった。
11歳のことをそんなにちゃんと覚えているなんて、よほど強烈だったんだと思う。
娘:
被爆した人があまりの熱さに川に集まって、川に飛び込んで死んだというのが怖かった。
川を見た娘が「ここにいっぱい死んだ人がいたんだよね」と言って眺めていました。
私:
熱を持った人間は膨らんで、真っ赤になって、目が流れて、腸が破れて、舌が炭のようになって・・・。
人間がそんな姿になるなんて想像もできないし怖い。
想像を絶するというのはこういうことなんだ・・・。
まとめ
戦争の壮絶さもさることながら、一つ気になることがありました。
それは、当時の日本はGHRのプレスコードが敷かれていて、原子爆弾のことはタブーで、長いこと放射能の知識がなかったことです。
主にGHQ批判、原爆に対する記事などが発禁処分に処された。占領開始前からの計画に従い、占領開始後間もなく個人的な手紙などにも検閲の手が回った。この事実は当時の一般の大衆には知らされず、出版・報道関係者(学校の同窓会誌・村の青年会誌などのミニ・メディア関係者なども含む)以外に存在が広く認知されたのはのちの事である。
報道が真実をすべて伝えてくれるなんてことはないんだと思いました。
私たちは未だに操作された情報だけをキャッチしている可能性があります。
そういうことを認識して、目の前のものだけで判断してはいけないし、世の中の有り様を感じる事も大事です。
様々な情報をキャッチして感じた上で思考しなければいけないのだと思いました。
なんだかコロナ禍にも通じるものがあるような気がします。
テレビが言うから。
政府が言うから。
医者が言うから。
そんなのなんの根拠にもならないんですね。