以前夫から「裸婦ってなんでデ・・・・ふくよかな人が多いの?」と聞かれました。
特に意識したことはなかったけれど確かにはちきれんばかりの肉体が多い。
私がまっさきに思い浮かべたのはルーベンスの『レウキッポスの娘たちの略奪』。
婦女誘拐の迫真の場面ですが、ふと思ったのが「妻にするために略奪されてる娘さん、筋骨隆々のおっさんの腕より太いふくらはぎって・・・。80kgくらいありそうで連れて行くの大変そうだな・・・。」というとんでもない感想。
年代を変えて、有名な裸婦を集めてみても、どの御婦人もはちきれんばかりの肉体を披露しています。
比較的痩せ型のクラナッハのヴィーナスも、胸は小ぶりですが下半身デ。。。お腹から太ももにかけてはふっくらしています。
ということで、今回は裸婦について考えてみます。
モデルがふくよかな理由を考えてみる 1
まず最初に思ったのが、ルーベンスの絵から感じた迫力。
誘拐されている娘さんが痩せていたら、あんなにダイナミックな絵にならなかったように思います。
想像してみて下さい。。。
その他の絵でも、痩せているモデルさんでは絵にならないということなのではないかと考えました。
モデルがふくよかな理由を考えてみる 2
次に思い浮かんだのが、富の象徴がデ。。。ふくよかさだった。
痩せていることは貧しくて食べ物も満足に食べれないから。
太っていることは、裕福であること。
そして良いものを食べているから肌艶が良くて美しいとされていたのではないか。
モデルがふくよかな理由を考えてみる 3
男性は下半身デ。。。お腹から太ももにかけてはふっくらしている女性が好き。(胸の大きさの好みは人それぞれ)
ミス・ユニバースの方たちを見ても、お尻回りは比較的しっかりしている印象です。
女性が思っているよりも、男性はふくよかなことに寛容かもしれません。
モデルがふくよかな理由を考えてみる 4
ポーズが太って見える。
お尻を強調したポーズなんだと思います。
モデルがふくよかな理由を考えてみる 5
痩せた女性は裸婦モデルをやらない。
もしかしたら、昔は痩せていることが良いとは思われなかったのかもしれません。
理由を考えるのがかなり苦しくなってきました。。。
女性側の美意識の問題で、痩せた裸婦モデルがいないのかもしれません。
裸婦を書いてみよう!
もう理由が思い浮かばないので、とりあえず裸婦を描いてみました。
かなりいいんじゃないかと思っていたのですが、同じ裸婦をプロの画家が描くとぜんぜん違う。。。。。。。。
私は木で彫ったみたいな女性なのに対して、プロの絵ははちきれんばかりの肉体。
ということで改めて名画の裸婦について考えてみます。
おそらくはちきれんばかりの肉体に描いたことで、太って見えていたのだと思います。
肉感的になればなるほど、太っているように感じたのでしょう。
プロのテクニックに感嘆です。
まとめ
ということで、「太っていることは悪くない」という結論で締めたいと思います。。。。
こんな風に書くのはちょっと乱暴ですが、現代のように「痩せていることが美しい」という風潮は事実なのだろうか?という気付きが生まれますね。
画家がこぞって描きたがるのは、ふくよかな女性ばかり。(言い切ってもダメですが。。。)
美しさを求めているばかりではないのかもしれませんが、ふくよかさに何かしらの魅力があるのは確かだと思います。
痩せたくなったら名画を見るといいかもしれません。
あのふくよかな女性たちが名画のモデルなのです。
美の象徴といってもいい!!!
とはいえ、ふくよかさにも限度があるので程々にということですね。
絵画を楽しむところからかなり脱線してしまいましたが、鑑賞しながら自分の中の前提を疑ってみるのも面白いかもしれません。
モデルがふくよかな理由、もし新たな考えがあればコメントで教えて下さい!