広島を知る休日(5)

広島旅行2日目。

1日目は宮島、広島平和記念公園と広島市内の散策でしたが、2日目は朝早くに宿泊先で朝食を済ませ、市外へ向けて出発しました。

1日かけて広島県内の海沿いの町を巡って夕方には尾道まで到着する計画です。宿泊先から尾道の市街地までは下道でストレートに行っても、2時間以上はかかる距離。行きたいスポットはいくつかあったもののこの日は時間に限りがあるため、予め経由地は設定せず、そのときの状況によって行き先を決めるというルールでスタートしました。

ということで、まずは広島港の近くにある宇品ICから広島高速道路に乗り、海沿いのルートへ。

そして、しばらく運転して到着したのが、呉(くれ)市にある『大和ミュージアム』です。

戦艦「大和」を建造した軍港、日本一の海軍工廠のまちとして栄え、戦後は、世界最大のタンカーを数多く建造する明治以降の「呉の歴史」と造船・製鋼を始めとした各種の「科学技術」を紹介する博物館。館内には、零式艦上戦闘機六二型などの貴重な実物資料の他、船を中心とした科学技術の原理を体験・体感を通してわかりやすく紹介している展示室があります。毎週土日にはワークショップやサイエンスショーを開催しています。

引用元:大和ミュージアムについて | 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)

チケットを購入し見学スタート。入口を通過すると、早速出迎えてくれたのが戦艦『大和』のレプリカです。実物の10分の1サイズですが、圧倒的な存在感を放っています。大和の全長は263メートルなので、単純に10分の1すると26.3メートル。大きさを例えると「バスケットボールのコートにすっぽり収まる」ようなイメージでしょうか。

また、当時日本初とされていた超大型スクリューや世界最大の口径を持つ46センチ3連装主砲塔といった大和を象徴する各設備をはじめ、船体の細部まで忠実に再現されています。

写真のように下から船底を見上げたり、上(3階)からは敵の攻撃に耐えられるように想定して設置された分厚い甲板を見下ろしたりすることもできます。

大和は当時の日本における最新技術がいたるところに盛り込まれており、その技術は今も受け継がれています。

例えば、大和で培われた建造技術(工法)は現代の造船業のみならず建設産業にも継承されています。また、目標までの距離を測る測距儀は世界一の大きさと性能を持っており、戦後はカメラなどの精密光学機器に大きな影響を与えたともいわれてます。

まずは呉の歴史から

順路に従って進みます。ここは、漁村から国内屈指の軍港までに発展した呉市の歩みを振り返るコーナー。当時のまちの様子を写真や映像で見ることができます。ガラスケースには当時使われていた工具や重要書類(実物)などが展示されています。

明治22(1889)年に呉鎮守府、明治36(1903)年には呉海軍工廠が設置され、戦前は戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の街として栄えました。戦後には、戦前から培われてきた技術が新しい技術と結びつき、世界最大のタンカーを数多く建造する有数の臨海工業都市として発展してきました。

引用元:1F A.呉の歴史 | 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)

海防力を備えることを目的として、明治時代に横須賀、舞鶴、佐世保と並び、呉は軍港に指定。日本海軍の拠点としてまちは発展していきました。それ以降は、事業を統一化させるために造船廠と造兵廠が合併し、呉海軍工廠を設立。その翌年には日本で最初の国産主力艦を生み出すため、建造が開始されました。

そして、時代は大正、昭和へと進みます。

太平洋戦争が始まると、日本の艦艇の建造・修理をになう呉海軍工廠の役割は、ますます大きなものとなり、やがて繁忙をきわめるようになっていきます。

引用元:1F A.呉の歴史 | 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)

悲劇の戦艦

『呉の歴史』コーナーをさらに奥に進むと、いよいよ戦艦大和の展示コーナーへ。竣工前から最期までを振り返ります。

日中戦争~太平洋戦争初期の間に建造された大和ですが、当時は極秘に進められたプロジェクトでした。世界最高と称された船体規模、搭載設備を持つ軍艦は日本が窮地に追い込まれた際に力を発揮する「奥の手」として温存。日本海軍において精神的な支えでもありました。

写真や文章で構成された展示物からはこうした建造の背景や性能など、戦艦大和の全容を多角的に理解することができます。

そして、展示内容は太平洋戦争の出来事(海戦への出撃~沖縄特攻)へと移行していきます。中には、乗組員一人一人の顔写真や特攻に行く直前に書かれた遺書、そして戦後の潜水調査で引き揚げられた乗組員が使用したとされる遺品も展示されていました。

直筆の遺書には家族への気遣いや感謝の思いも綴られており、胸が痛みます。(撮影ができないエリアでしたので写真はありません)また、展示されていた遺品のうち、特に印象に残っているのが乗組員が履いていたと思われる靴です。原形のまま残っているものはなく、靴底やかかと部分といった一部が残っている状態で引き揚げられました。

戦艦大和との接点

これまでも生き残った方の言葉を映像を通じて聴いたことはありましたが、戦前のことや性能など、自分にとって初めて知った情報も多く、充実した見学でした。

戦艦大和は映画や小説など、様々な作品の題材になっているので、今も日常生活のどこかで触れる機会があると思います。

その意味では自分の戦艦大和への入り口は音楽でした。
学生の時に友人から勧められたアーティストなのですが、当時この歌詞(リリック)を聴いて衝撃を受けたことを覚えています。

※このジャンルでは知らない人はいないほど有名な方(最近は俳優としても活躍)で、多少過激ですが、社会に向けたメッセージ性が強い曲は他にも多数。

改めて聴いても、ただただ驚きだった当時とは少し受け止め方は違いますが、やはり色々考えさせられます。

ここまでは戦艦大和の関連展示でした。順路に従って進んで行くと次は『大型資料展示室』です。次回に続きます。

前回までの旅の記録