娘が注文した磯ラーメンも絶品でした!(食べたそうにしているママを横目にぺろりと平らげました)
食後はこちらで休憩です。子供たちの充電もばっちり!
おチビもくつろがせていただきました。
写真左に見える緑の箱が「稚ウニ」を育てる水槽とのことです。みんな元気に育ってよね!
三陸鉄道リアス線ののぼりが立てられていました。ここ洋野町にも多くの観光客が訪れてほしいです。
ひろの水産会館UNIQUE(ウニーク) をあとにし、向かったのが、青森県階上町立大蛇小学校。ここには津波石碑が二つあります。
一つが昭和八年に建てられた海嘯記念碑(かいしょうきねんひ)。同年三月三日に発生した「三陸大津波」での被害を忘れないようにと建てられました。
明治二十九年に発生した津波よりも規模が小さく、その津波を経験した方がまだいらっしゃったため犠牲者が少なかったものの、それでも二名の死者と一名の行方不明者、五名の重傷者が出てしまった記されていました。
こちらが海嘯記念碑(かいしょうきねんひ)
そしてもう一つが平成二十九年に建てられた東日本大震災津波の碑です。
昭和の津波以降、この地域には「ほら逃げろ、津波の時は線路まで」という言葉が言い慣わされていてそのおかげで東日本大震災では一人の犠牲者も出さなかったとのことです。
そういった「地域の絆」を忘れないようにと石碑には文字が刻まれています。
なお、こちらの石碑の裏には「ほら逃げろ、津波の時は線路まで」という文字が刻まれているということでその文字も見たかったのですが、訪れたのが夏休みで石碑の裏側が元気な草木で覆われていたため直接見ることはかないませんでした。
ただ、表の文字だけでも未来に残したい先人の言葉は十分伝わります。
引き続き地域の間で「ほら逃げろ、津波の時は線路まで」を伝承し続けてほしいです。
それにしても、海嘯記念碑を撮影した写真の通り、高台の学校の向こうには海が広がる光景は、まさに絶景です。
この学校で学べる子供たちが正直羨ましいと思いました。津波から身を守る術を代々語り継ぎつつ、この素晴らしい環境でみんなのびのび育っていってほしいと思います。
※上記の石碑ですが、いずれも学校の敷地内にあります。見学を希望される場合は、事前に学校へ一声かけてから訪れたほうがいいと思います。(自分もそうしました)
校庭内に建てられていた看板です。
大蛇小学校を出発し、この後はホテルに行く予定だったのですが、途中「いちご煮祭り開催中」という魅力的な看板を目にし、急きょ立ち寄ることにしました!
訪れたときはかわいらしいフラダンスのパフォーマンス中。
こちらも大蛇小学校に負けず劣らずの風景が広がっていました。
長男もしばらくの間この景色を堪能していました。
今後ここよりきれいな景色を見ながらいちご煮を食べることはないんだろうなあ、なんてことを考えながらおいしいいちご煮いただきました。長男はアンパンマンの顔をしたポテトを食べてましたが。
いちご煮の販売をしていたおばちゃんにきれいなところですね!と話したところ、「そうでしょそうでしょ。明日は歌手の方も来たりしてもっと盛り上がるんだから!八戸線の沿線からもたくさん人が来るのよ!自分の友達もたくさん来るし楽しみなのよ~」と嬉しそうに答えてくれました。
この景色を地元の方々のみで楽しむのはちょっともったいないです。
遠方からくる価値も十分ありますので、気になる方はぜひ来年のお祭りにお越しください。(それまで待てない方はもっと早く)
お祭り会場をあとにし、この日の宿「国民宿舎えぼし荘」に到着です。昨年に引き続き今年もお世話になります。
スタッフさんが変わらぬ素敵な笑顔で迎えてくれました。
この宿も高台にあり、きれいな海が一望できます。
道中こっそり購入した地酒と生うにの瓶詰(瓶詰はウニークで購入)。ゆっくりいただきたいため子供たちに「早く寝るんだ~」と念を送りました。
君も早く寝るようにね。