次は3000人か?

あの日多くの人たちが避難した本丸公園への登り口に置かれたままの被災した狛犬

時計を10カ月ほど逆回りさせると、こんな言葉が聞こえてきた。

「次は3000人か?」

言葉の主は2017年5月にオープンした陸前高田の商業施設「アバッセたかた」にやってきた近所の主婦。春の日に華やいだ雰囲気が漂うなか、そういえばと話題になったのが施設が立地している場所のことだった。

商業施設があるのは、津波によって失われたかつてのまちを埋め立てて造られたかさ上げ地。地面の10数メートル下には失われたまちの記憶が眠る。

「つまりさ、アンタや私が立ってるのは、あの日の津波の中ってことなんだよね」

彼女の住まいは津波が押し寄せた最前線だった。住居前には押し寄せてきたがれきが山と積み重なった。住宅も被害を受けたが修繕していまも同じ家で暮らしている。それだけに、家がぎりぎり山際で助かった彼女は、新しくできた商業施設への道を歩きながらもあの日のことが思い出さずにはいられない。

玄関から道に出るとそこは津波の高さプラスマイナスゼロメートル。

商業施設に向かう道をたどると、一歩ごとに津波の高さが増していく。

商業施設まで5分ほどの道を歩いて来ればそこはあの日、津波高さ14メートルだった場所。

もちろん津波の高さだけが問題なのではない。彼女にとっての5分の道のりに、あの日おきていたのは何だったのか、思いを巡らせてみる。言葉が失われる。

だからさ——、

「なんで避難場所がしっかり整備されていなのか、っつうことなのよ。大勢の人たちがやってくる場所なのに」

避難場所が整備されないままの施設オープンという話題でしばらく語らった後、両手に買い物袋を提げて帰っていく彼女の後ろ姿に、「じゃあまた」と声をかけたのだが、彼女の頭の中は憤懣やる方ない思いが激しく渦巻いていたのだろう。造成工事が行われている真っ平らな土地に、わざわざ曲がりくねった形で造られた道路を歩きながら、彼女は、手を振ろうとして重そうな買い物袋を持ったまま片手を持ち上げて毒づくようにその言葉を吐いた。

「まったく、次は3000人か? っつうの」

陸前高田市では死者行方不明者は1759人とされる。丸めて表わすべき数字ではないのはもちろんだが、地元では東日本大震災での被害はおよそ2000人と言われることが多い。防災のハード・ソフトの整備が不十分なまま、復興を進めていると、必ず来るとされる次の津波では、もっと大きな被害を招くことになるということを、彼女は3000人という言葉で表現したのだ。

ショッキングな一言だった。

心の中の棚のどこに収めたらいいのか、ずっと整理がつかなかった。「次は3000人か?」という言葉はフォルダに収められることもなく、むき出しでデスクトップに放り出されたままだった。

口さがない言葉と切り捨てるのは簡単だ。しかし、そんな言葉にこそ被災地の真情が込められていると考えられないか。

東日本大震災で大きな被害を受けた大船渡市と陸前高田市のかさ上げ地に、まち再生のコアとなる商業施設が完成してもうすぐ1年になる。大船渡では商業施設のオープン時には高台に避難するための新しいスロープが設置されていた。真新しいスロープは商業施設からよく見えた。大船渡の方が対応が進んでいるというのは、あの日、彼女とも語らったことだ。「あっちの方が上等だよね」と。

陸前高田の商業施設のすぐ北側には、震災時、多くの住民が避難した本丸公園の高台があるが、正面は切り立った崖だ

陸前高田では商業施設のオープンに合わせて避難路が整備されることはなかった。もっとも、施設の北側すぐ近くにある高台の公園は、あの日、たくさんの人たちが津波を逃れて避難した場所ではある。しかし、高台に直接登る避難経路は整備されていないし、避難経路の案内図には高台に避難と漠然と記されているだけで、どこに逃げろとは示されていない。直近の安全場所である切り立った崖の上に登るには、高台の裏手に迂回して神社の石段を使わなければならないが、その経路を示す表示もない上、かさ上げ地に新たに造られた道路は曲がりくねっている。安全に避難するためにはハードルが高すぎるのだ。

さらに、陸前高田よりは「上等」と思えた大船渡のスロープにしても、実際に登り口まで行ってみるとそこには高いフェンスが建てられ、出入り口は施錠されていた。

「次は3000人か?」

それは、口さがない言葉などと言って切り捨てていいものなんかではない。

復興が進んでいるかのように伝えられる東北の被災地で、こんな剥き身の刃のような言葉が語られていることを、全国の人に知ってほしい。