大船渡のまちなかに漁船のイルミネーションが登場した。
被災した大船渡の沿岸部には、壁としか言いようのない高い防潮堤が築かれた。海辺近くの低い場所からは海が見えにくくなった。だから、海を忘れないようにという思いから、漁船のイルミネーションが設置されたのだという。
しかし、なんだか寂しい感じがしてしまう。海と陸地の境界線を引くように造られた高い壁のような防潮堤の内側、とはいえ海の近くに新設された商業地に漁船が運び込まれて、LEDとか集魚灯とかで飾られる。
イルミネーションとしては色鮮やかだし、着想も悪くないのに、なんだか寂しい感じがしてしまうのだ。
海とともにあった町だから海を近くに感じるために漁船にイルミネーション。そんな話題を地元の新聞で読んだとき、ぜひ見に行きたいと思った。でも、見に行って寂しくなった。地域紙でも県紙でも記事になっていたから、地元の多くの人は知っていただろうに、イルミネーションの前で記念撮影している人の姿も見なかった。
人の姿がまばらだから寂しかったという訳ではない。海が見えなくなるような防潮堤を造っておいて、(いや、だからこそではあるのだろうが)防潮堤の内側に漁船を飾るという皮肉な状況から目を背けたいという無意識が働くのだろうか。
7年前、津波に襲われた海辺の地には、大小含め数知れないほどの船が打ち上げられていた。海に浮かんでいるはずのものが陸にあるという不自然な光景そのものが、脅威や恐怖を象徴していた。陸の上の船はまるで打ち上げられて干からびて死んだ魚のようにも見えた。
「陸に上がった船」というイメージのせいなのか、海の近くに行きたくないという意識が影響しているのか、あるいはただ単に寒かったからか、そもそも日没後に町を歩く人が少ないせいなのか、私が見に行ったときに限ってたまたま人が少なかっただけなのか。分からない。
設置されてから3度ほど、それもイルミネーションを楽しむのにふさわしい日没後間もない時間帯に訪ねても、イルミネーションの周りは寒々しいほど閑散としていた。