ゾウの鼻の滝

サハラ南縁の真っ赤な大地を割って赤い水がほとばしる滝。人はこの滝を崖と滝との天然の造形からElephantnose Falls「ゾウの鼻の滝」と呼ぶ…、ではなくて、ここは日本の東北。写真はある朝、岩手県陸前高田市のかさ上げ地に出現した高さは1mにも満たない流れだ。それでも、この流れはどこから来ているのか。流れてくる途中、この大量の水は地面の中でどんな振る舞い(むしろ悪さというべきか)をしているのか。

東日本大震災で被災した陸前高田では、膨大な面積の盛り土が行われている。宅地や商業地となる造成地のかさ上げは海抜14mに達する。しかし写真のこの場所は、元々田んぼで将来的にも農地か公園として利用される予定という。盛り土の高さは2mあるかどうか。それでもかさ上げ地には同様のルンゼ(水に浸食された険しい溝)が無数に刻まれている。あちこちから噴き出すように水がほとばしっている。

前夜たしかに降雨はあったが、朝には道は乾き、ところどころに小さな水溜りが残った程度だった。それでもかさ上げ地からは水が噴き出し、せっかくの盛り土が削られて行く。

この光景を見たとき、春の雪解けのことを思った。かさ上げされた地面の中で氷結した水分が、春の訪れとともに融け出して、濁り水の流れとなったのだ。被災地にもようやく春が近づいてきた、と。

しかし、流れを見つめていると、そんな話じゃないなという思いが大きくなっていった。もう何十年も昔、ずっと忘却の彼方にあったあることも思い出した。

それはバブルが弾けてしまった後の頃のこと。新横浜の近くの土地を買わないかという話を持ちかけられた。その数年前、仕事上の付き合いがあった会社の知人の何人かが早期退職して自社株を売って高級マンションを購入するということが立続きにあった。バブルが終わったのはそのすぐ後のことで、知人たちが購入した億ションの価値は大暴落した。そんな頃の話だったから、購入を持ちかけられた土地の値段は数年前の水準の半値以下、考えられないくらいお買い得に感じられた。

ハシゴの上に脚立を載せるくらいに背伸びをすれば手が届かなくもない価格にも思えたので(要するに無理ということなのだが)、その土地のことをちょっと調べたりもした。ロケーションはカワイそうな知人たちの億ションのすぐ近く。里山を階段状に切って造成された土地のようだった。切り土の土地なら安全かな、ローンを組めるかどうか考えてみようかななどと思っていたら、知人が教えてくれた。

あの辺の造成地は切り土半分、半分は盛り土だから止めた方がいいよ。

バブルの絶頂期に最高値で購入したマンションが暴落という経緯はあっても、彼はとても信頼できる人だったから、そういうものかと納得してしまって、それっきり土地購入の考えも霧消した。

当時でさえ、盛り土に建物を造るのは、造成後5年くらいは放置して土を締めてからの方がいいと言われていた。それでも、造成した業者としては早く売却してしまいたい。その結果、建てた後に家が傾く、ドアが閉まらないといったトラブルが続出していた。

そんな記憶が、数十年後の陸前高田のかさ上げ地のゾウの鼻の滝を見てよみがえってきた。

地面の中がどうなっているのかなんて、実のところ誰にも分からないのだ。高田地区のかさ上げ工法はこれまでにない画期的なものと言う人もいるが、盛り土の土地に造られた建物では、床に置いたボールが自然と転がる、襖が開け閉めできないといった話をしばしば耳にする。

山を切り開いた高台に建設された建物でも、扉や襖がちゃんと閉まらない。先日、ある団地の集会所では、網戸が強風に煽られて猛烈なスピードでレールの上を走って行くのを目撃したばかりだ。お茶っこしていたら、視界の端を新幹線が通過していったのだ。新幹線のように見えた影は網戸だった。事態を吞み込んだ後も、呆れるほかなかった。

バブル崩壊後、とにかく早く売り抜けたいと、半値以下で土地を売ったり建売り住宅を建設したりしていた時代とは表面上の理由こそ違え、造成した土地に早く建物を造って人を住まわせたり、商店をオープンさせたいという意識は共通している。どちらも人間様のご都合、つまり経済の問題だ。

土地がしっかり落ち着くのに要する時間と、人間様の経済を回すために求められる時間とでは、流れて行くスピードに大きな違いがあるようだ。

数十年前、ほんの数日だけ購入を考えたことのある土地の近くでは、数年前、マンションの基礎杭の深さが足りなかったなどという大問題も発覚した。震災で失われた街を早く取り戻そうとする工事で同様なことが起きないことを願う。開け閉めできないドアや床で転がるボールなど、あるいはすでに問題は表面化していると言うべきなのかもしれないが。

赤土の盛り土からゾウの鼻のような形で噴き上げるElephantnose Fallsを眺めながら、思いはそこに至った。