「あれ、リモコンの調子が悪いのかな。エアコンの風向きが変わらない…」
お茶っこに参加させてもらった岩泉町のとある仮設住宅の談話室(集会所)でのこと。
「リモコンじゃなくて、エアコンそのものの性能が良くないのよ」
居合わせた仮設住宅の人たちが口々に教えてくれた。そしてひとりがこう言った。
「思うに任せないのはエアコンだけじゃなんだけどね」
どういうことかと次の言葉を待っていると、
「冷蔵庫は温度調整がうまくいかなくて、一番弱くしていてもタマゴが凍って割れちゃうの。そんなウチが何軒もあったのよ。しかも真夏に。テレビだって時々ストライキを起こして、とつぜん画面が真っ黒になっちゃうし」
「だって、まだ新しいんでしょ?」
「そうよ、みんなほぼ新品。それでも思うに任せないのよねぇ」
その応急仮設住宅は2016年夏の台風10号で被災した人たちのために、その年の年末に完成した。家電製品だって、仮設に入居した後に支援で贈られたもの。まだ1年ほどしか経っていない。
「安い外国製品だからなんだろうかね。東日本のときはどうだったんだろうね」
「ぼくが知る限り、東日本大震災の時に赤十字が仮設住宅に配ったのは、たいてい日本製だったと思いますよ」
「そうだろうね。あの頃はまだ国や支援する側にお金の余裕があったんだ。でも最近じゃ、日本中が被災地みたいなものだから、安い外国製の家電になってしまうんだろうかねぇ」
彼女の名誉のために補足するが、彼女の言葉は「不平」ではない。ましてや「非難」なんかではない。災害で住む場所を失って途方に暮れる中、仮設住宅を建ててもらい、さらに家電製品まで支援してもらったことに被災した人たちは深く感謝している。
ただ「愚痴」っているだけなのだ。いや愚痴ですらない。それは嘆き。
「流される前には立派なミシンが4台もあったのよ」「流される前にはお父さんが私専用のアトリエをつくってくれていたのよ」「流される前には、秋には飽きてしまうくらい松茸を食べていたのに」「流される前には…」「流される前には…」
それでも生きていかなければならない。生きている限り、「流される前には…」と向き合って、こころの中で闘っていかなければならない。
もはやそれは嘆きですらない。それは、どこに向ければいいのかすらわからない「怒り」のようなもの。
曰く、なぜこんな目に遭わなくてはならないの?
曰く、どうしてこの歳になって、思うに任せない暮らしをしなければならないの?
思うに任せない家電に囲まれて生活していると、自分の境遇を思わずにはいられなくなってしまうのだ。