東日本大震災で日和幼稚園バスに起きたこと

現在は休園中の日和幼稚園

地震発生後にバスを運行した理由について幼稚園側は、「子ども達が寒そうで不安そうだった。そのため早く親元に帰したかった。」とおっしゃっていたそうです。

子供の命を優先していたら、バスで暖をとったり、昼寝用の布団を利用したり、子供を励ましたり、やれることはほかにもあったと思います。

しかし、早く親元に返して責任から逃れたいという思いがあったのではないかと考えてしまう、無責任な行動に感じられてなりません。

園舎から見える距離にある防災無線

園は当初、防災無線から流れる「ただいま大きな地震が発生しました。沿岸部に近づかないで高台に避難してください。」という避難誘導が「聞こえなかった」と答えていたそうです。

しかし園長は証人尋問の中、初めて園舎の中で聞いていたことをぽろりとおっしゃいました。

こういう本当のことを言わない弱さが、ご遺族を苦しめているのだと感じました。

園舎から被災場所までの距離

③から①がバスの通ったルート
園舎の面前の道路を通ってバスは出発した

幼稚園から被災場所までの距離は、歩いて5分もかかりませんでした。にもかかわらず、幼稚園からの助けはありませんでした。

そして、被災現場を先生方が知ったのは、翌日だったそうです。

幼稚園は運転手から状況を聞こうとせず、把握しておりませんでした。被災したのは分かっても「子ども達はどこだ」とは残念ながらならなかったのです。

慰霊碑

慰霊碑設置予定地

ご遺族は子供たちの亡くなった場所に慰霊碑を立てることを計画されていました。

しかし、都市計画で実際の被災場所に慰霊碑を立てることが叶わないため、少し離れたこの場所に建てることを石巻市と交渉しているそうです。

この場所で何が起きたかを伝承していきたいとのことでした。

佐藤さんに語っていただいて思うこと

佐藤さんはお話をされている中で、「私は人災で子供たちが亡くなったと今も思っている」とお話しされていました。

地震発生後のバス運行指示や、ずさんな運行管理、危険に対しての意識の低さは震災のせいだけでは片づけられないお話に感じました。

誰か一人でも子どもたちのことを考えていたら、できることはたくさんあったと思わずにはいられません。

東日本大震災による裁判は、大川小や七十七銀行などありますが、どの裁判も建物が被災しています。建物が被災していないのは日和山幼稚園だけだと佐藤さんは言われました。

日頃からのずさんな行動によって、子ども達が命を落とすという最悪の結果となりました。避難しなくてもよい子供たちが犠牲になるのは、おかしいとしか思えません。

話を聞くだけでなく実際に歩くことで、なぜ助けられなかったのかというご遺族の悔しい思いが伝わてきます。

お子さんを亡くした記憶を語るということは、私には理解することのできないつらい時間だと思います。

しかし、それでも多くの人に知ってもらうために語っている佐藤さん。私ができることは、すこしでも多くの方に知ってもらう為の行動をすることだと思いました。