昨年、熊本地震で大きな被害を受けた「熊本城の今」をこの目で確かめるため、ゴールデンウィークを利用して長崎に帰省するタイミングで熊本城に行ってきました。
市街地の状況は?
熊本駅から熊本城まではレンタカーで移動しました。途中、熊本地震で被災して倒壊しかけた民家をいくつも見かけました。地震から1年経った今でも、まだまだ地震の爪あとがそのまま至るところに残されています。
熊本市では熊本地震で被災した建物の危険度を調べる応急危険度判定を実施し1万182件の判定中、「危険」1815件、「要注意」3279件だったそうです。熊本城までの15分ほどの運転中に、「危険」と書かれた赤い紙が貼られた倒壊寸前の家がいくつも残っており、当時の地震の揺れのすさまじさを物語ってしました。
今回の地震で大きな被害を受けたのは、戦時中に空襲で被害にあわずに残ったような古い建物が多いようでした。
レンタカーでの移動時間はわずか15分ほどでしたが、倒壊しそうな危険な状態の建物が市街地でさえ手付かずの状態となっており、復興への道のりはまだまだ遠く感じました。
熊本城の「今」
熊本城は現在、城内は立ち入り禁止となっています。しかし、城外からでも熊本城の被災状況を十分に確認することができます。
まず最初に目についたのは、石垣がいたるところで崩れたままの状態になっているところでした。熊本城総合事務所によると、被害を受けた石垣は64カ所あり、全体の3割以上にのぼるそうです。
車から降りて城外を歩いているとき、一つ一つ番号が振られた崩落した石垣の石がきれいに並べられていました。聞いた話によると、どうやら一つ一つの形から元あった場所を特定し、番号は石垣を組みなおす時の位置を示しているようです。
これだけの被害があると人力で石垣の位置を特定するのは気の遠くなる作業です。インターネットを調べたところ、「熊本城石垣修復にIT活用」という記事がありました。歴史的建造物をITを駆使して修復しようという試みは、現代ならではです。
熊本地震では重要文化財に指定されている全13棟の建物は全てが損傷を受けたということです。建造物も重機を使った工事がところどころで始まったばかりというような状態でした。
熊本地震の激震に襲われながらも、「一本足」状に残った石垣が支えとなり倒壊を免れた飯田丸五階櫓は、ちょうど巨大なUFOキャッチャーのアームで吊り上げられるような形で何とか倒壊を免れている状態で、見ていてとても痛々しく感じました。
熊本市の「熊本城復旧基本方針」では、以下のような考え方のもと、復旧作業が進められることになっています。
復興のシンボルである天守閣の早期(3年)復旧を目指すとされています。これは熊本地震で被災した多くの市民・県民にとって、天守閣の早期復旧が震災からの復興のシンボルとして捉えられていることと、2019 年に熊本でラグビーワールドカップが開催されるため、熊本のシンボルとして早期復旧させたいというのが理由だそうです。
また公開可能なエリアから復旧作業を含めて段階的な公開を行い、復旧していく熊本城の姿を学習・社会教育・文化財保護啓発等の場として活用しながら、観光資源としての早期再生を図ることとされています。
さらに耐震化など安全対策に向けて最新技術も取り入れた復旧手法の検討を行うとしています。
これらの復旧作業は今後20年という長い年月をかけて行われる予定です。熊本のシンボル、熊本城の復興の道のりはまだ本当に始まったばかりなのです。
・・・
地元熊本では、熊本城を築城した加藤清正を親しみをもって「せいしょこさん」と呼ぶそうです。今回の地震では、まるで生きている人のように熊本城の様子を心配する声が非常に多かったです。熊本城は熊本のシンボルとして清正と一緒に昔から熊本の人々に愛されてきたことがよく分かります。
ボランティアガイドを利用しよう!
実は今回の旅の出発直前、熊本観光のボランティアガイド団体さんがいらっしゃるという情報を雑誌で知り、慌ててガイドを申し込んでいました。「くまもとよかとこ案内人の会」のKさんから熊本城を案内してもらいながら熊本地震発生当時の貴重なお話を聞かせてもらうことができました。
Kさんは熊本市にある自宅で熊本地震を経験したそうです。最初は小刻みに揺れ、徐々に揺れが大きくなってきたので最初は阿蘇山が噴火したのかと思ったそうです。ところが大きな揺れが収まらず長く続いている中で緊急地震速報が流れて地震に気づいたそうです。
幸いKさんの家では大きな被害は出なかったそうですが、本震のあとは家の中にいるのは危険と判断し車の中で寝泊りすることにしたそうです。
ライフラインについては電気は比較的早く復旧するそうですが、断水は4日間続いたそうです。給水車を当てにしないで水を確保するためには、最低でも4日間分を備蓄しておく必要がありそうです。
また建物が倒壊し、生き埋めになってしまった場合に備えてホイッスル(笛)を用意しておいた方がよいと教えてくれました。ホイッスルはプラスチック製のものだと割れて吹けなくなる可能性があるので鉄製のものがよいとのことです(鉄製なら多少歪んでも音が出るため)。
熊本城の復元について、熊本市の大西市長は昨年の記者会見で3年後には城内へ入れるように工事を進め、20年後には城全体を地震前の状態に戻したいと表明したそうです。
Kさんは、「被災した熊本城は今しか見られない。市長があと2年で城内へ入れるようにすると公言したから間違いなくそうなるだろう。今度はまた2年後においで。」とおっしゃってくれました。
すでに震災後に熊本城に行った方は、ぜひ2年後にもう一度熊本を訪れ、城内から熊本城を間近に見てください。そしてまだ熊本城に行ってない方で、もし熊本に行く機会があれば「くまもとよかとこ案内人の会」のボランティアガイドをおススメします!
熊本城は、現在の熊本県熊本市中央区に築かれた安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」。
加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後の江戸時代の大半は熊本藩細川家の居城。明治の西南戦争の戦場となった。西南戦争の直前に大小天守や御殿など本丸の建築群が焼失し、現在の天守は1960年の再建である。宇土櫓などの現存する櫓・城門・塀13棟は国の重要文化財に指定されている。また、城跡は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されている。
天守閣内部には熊本市立熊本博物館の分館としての展示があり、公式には熊本城の再建天守閣内部は「熊本市立熊本博物館分館」となっている。
2016年4月の熊本地震の際に、現存石垣をはじめ宇土櫓などの文化財建造物、大小天守などの復元・復興建築が被災した。