タコ焼き2800個!

焼きに焼いたものだ。びっくりだ。

2016年8月に入居が始まっていたのに、2017年の3月も末になってようやく住民主体の利用ができるようになった県営栃ヶ沢アパート集会所。

3月28日、この集会所でタコ焼きパーティが開かれ、たくさんの住民でにぎわった。

タコ焼きパーティは3月17日に正式発足したばかりの自治会の主催。立川や国分寺など東京西部からはるばるやって来た人たちの支援によって実現した。

被災地での食べ物の支援活動といっても、震災直後の炊き出し支援とは目的は異なっている。震災直後の炊き出しは食材や調理器具など食べることに不自由な状況を支援するために行われていたが、震災から6年を経たいま、被災地に暮らす人たちがその日の食べ物にも困窮しているという状況ではない。ではどうして震災から6年を経たいま食べ物による支援なのか。

それは、仮設住宅から災害公営住宅などへの移転が進む中、コミュニティを再構築するという問題に直面しているから。仮設住宅での生活は不自由なものだったとは言え、5年以上の長期にわたる中で長屋的なご近所付き合いが形づくられていた。生活していく上での不便を助け合うことで支え合う仲間たちがいた。

ところが仮設住宅から新設された公営住宅や自主再建した住宅への移転が進む中、仮設で培われてきた仲間が離ればなれになってしまった。移転した先でもう一度、仲間づくり、コミュニティづくりをしなければならないという現実がある。

文字通りの四軒長屋で、玄関も引き戸、通路を歩いている人を呼び止めてお茶っこしたりという光景が見られた仮設住宅から、まるで都会のマンションみたいな立派な高層住宅に引っ越して、ドアを閉めれば外の様子は分からない。窓も二重サッシだから防災無線すら聞こえない。そんな状況では、どうしても「外に出て来ない人」が増えてしまう。

まして、避難所、仮設住宅、そして新しい住まいと3回以上も仲間づくりをやり直さなければならないのだ。人と人がふれ合って、知り合いになることが、「こんにちは、今日から仲間ですよ」と挨拶しただけでなされるわけがない。

立派な風に見える災害公営住宅の集会場でタコ焼きパーティが開かれたのは、まさに仲間づくりのためのきっかけづくり。

地元の新聞の記事では、参加した住民の人数を30人ほどと紹介していたが、会場で数えた限りその倍近くは集まっていた。現在226世帯が入居している栃ヶ沢アパートで60人という参加者が多いのか少ないのか判断は微妙だが、集まって来た人の多くは、ただタコ焼きを食べたいからということではなく、仲間をつくりたい、話し相手になってくれる人を見つけたいという思いを持っていたように感じる。

なぜなら、「たくさん人が集まったけど、名前を知ってる人はわずかなのよ〜」という声を何人もの人から聞いたから。

「仮設を出てたくさんの仲間と離れてしまったけれど、私たちには震災前の町内でのご近所さん、避難所で知り合った人たち、仮設住宅での仲間、支援のためにやってきてくれた人たちとの絆などたくさんのつながりがある。これからはそんなつながりを結び合って、もっと大きな仲間づくりをしていきたい」と常々語る人もいた。

タコ焼きパーティの賄い方として走り回っていた知り合いのYさんは、パーティが一段落した頃、顔を上気させながら教えてくれた。

「いやあ焼いた、焼いたわねぇ。タコ焼き2800個よ!」

焼いた数だけ友だちも増える。焼いた数だけつながりが深まっていく。仮設から出た人たちが暮らす公営住宅でのコミュニティづくりは、いま始まったばかりだ。