夕暮れ時の道の駅相馬で、ドキリとした。道の駅のガラス窓に張り出されていた文字、「来て」というのは、たぶん「待ってるから来てね」とか「遊びに来てね」といった文章を、道の駅の人が数枚のA3サイズにプリントアウトした文字を並べたものの一部かと思ったら違っていた。
白地に大きく「来て」と書かれた文字の下には桜の写真。全国的に有名な福島の桜の写真。さらに「福島県」と記されていた。
「来て」は、地元の人がプリントアウトした文章の一部ではなくて、1枚もののポスターの一部だった。
さらに、「来て」の「て」の字の後には、ちょうど「。」の場所に、「福が満開、福の島。」のロゴ。間違いない。
キャッチコピーとして、「来て。」の一言を採用した人の思いって、どんなものなのだろうかと思いを馳せてみる。同時に、「このポスターを目にする人が誰なのか考えたのだろうか」「それを考えた上での選択だったのだろうか」とも考えた。
県の名が記されたポスターだから、福島を旅行していたら別の場所でも目にする機会があるだろうと思っていたが、今回の旅程の中でこのポスターを目にすることはなかった。
このポスターが作られた意味の重さとともに、どうにも釈然としないものを感じた。
いやむしろ、このポスターにこそ、いまの福島の苦悩が凝縮されているのだと考えるべきなのかもしれない。