3月18日(土)
2日目の朝です。
ホテルからの美しい眺め。今日も天気はよさそうです!
今日から2日間は語り部ガイドの方も同行いただき、お話を伺いつつ進みます。
この日最初に訪れたのは石巻の日和山。
震災当時も多くの方が避難された場所で、石巻の街を一望できます。
ここに訪れたのは3回目。工事が今も続いています。
左は語り部ガイドの方が被災した工場の説明などをしていただいている様子。
右は石段をみんなで降りていく様子。震災時は多くの方が避難するために登った階段。一歩一歩踏みしめます。
日和山から下山し、「がんばろう!石巻」看板へ。
今もしっかりと街を見守っています。
看板横にある「南浜つなぐ館」へ。
中に入ると周辺地域の模型や震災直後の映像などさまざまな資料があります。
VRグラスで震災当時の映像などを見ることができます。
子どもたちが我先にとグラスを手に取り映像を見ていました。
南浜つなぐ館をあとにし、この日のおひるご飯。
石巻かき小屋でかきをたらふくいただきました。
とんでもなくビールがほしくなりましたが、午後全力疾走する予定があるので歯を食いしばってノンアルコールビールを飲むにとどめます。
昼食後、最初に訪れたのはおかしや「まがりかど」。
以前は女川のトレーラーハウス、「エルファロ」のすぐ前にあったのですが、区画整理で移動していました。やや迷いつつもなんとか到着です。
震災後、子供たちがふさぎ込んでいるのをどうにかしたいという思いから、未経験ながら始められたお店。日々交流をしていくうちに少しずつ心を開いて話してくれるようになったと、ご主人が当時を思い出しながら語ってくれました。
これからも地域の子どもたちになくてはならない憩いの場所であり続けてほしいと願いました。
いけてるサングラスをゲットして、ごきげんなももちゃん。
お店の方総出でお見送りいただいた後は、再び女川駅へ。
今回のツアーの目的の一つ、「津波伝承 女川復幸男」に参加します。
「津波が来たら高台へ逃げる」という津波避難の基本を、何かの形で後世へ伝え続けたい、という思いから始められたこのイベント。
有名な西宮神社の「福男選び」で、参加者がつける黄色の手袋と同じものが配られます。それを装着して走ります。
左はレース前のコースの写真。ちょっとわかりづらいですが上り坂が続く中々ハードなコースです。
右は参加者がスタート地点に集まっている様子。
ちなみに、並び順はくじ引きで決めます。
今回は6人の仲間とエントリーし、私以外はみんな100番台だったのですが、私の代わりにくじを引いた息子が見事58番をゲット。仲間内で最も優勝に近い存在と言えます。
西宮神社からサポートのために来られているスタッフの方の「逃げろ!」という言葉がスタートの合図。
20年ぶりくらいに全力で走りました。
ただ、お世辞にも足が速いとは言えない自分。残念ながらスタート以降はトップ集団の背中を見ることはありませんでした。
ふらふらになりながらなんとかゴール。沿道で応援してくれた妻の話によると、60位くらいじゃないかとのこと。正直大健闘です。
レース後の仲間の写真。
激闘を物語っています。
(途中で転んでしまったのです。幸い、深刻なけがに至りませんでした)
レースを終え、みんなでこの日の宿「ホテルニューさか井」へ。
牡鹿半島の南部で距離がありましたが、語り部の方のお話であっという間に到着しました。
この宿でも、語り部の方に震災のお話を伺うことができました。
震災後、街で子供の遺体が道路に横たわっているのを見つけても、下手に触ってしまうと逮捕されてしまうといった恐れもあるため、なにかをかぶせることくらいしかできなかったと言います。
奥様に会えたのは震災から4日後。再会したときは初恋をしたような気分になった、皆様も奥様を大切に、と笑顔で話されていたのが印象的でした。