大船渡の町を見下ろす高台にある公園でそのオブジェと再会した。オブジェとは大船渡の時計塔。かつて大船渡駅前の商店街にあったものだ。
被災した後もかなり長い間、被災した時刻を示したまま、時計塔はその独特の姿で大船渡の町に立っていた。姿が見えなくなったのはかさ上げ工事が本格化した頃。時計塔はどこに行ったのだろうと気になっていた。
公園の桜の木や、周囲の住宅の陰になってはいるが、この公園からは被災した町が見渡せる。大船渡のシンボルであるセメント工場の大煙突もよく見える。文字盤はブルーシートで包まれてはいるものの、まるで目のように見える時計塔は大船渡の町の変化を見つめてきたのだろうと、そう思った。
ところが地元紙の記者さんに聞いてみると、「市の土地で時計台を仮置きできる場所がここだったという、ごく単純な理由みたいですよ」とのこと。将来の町づくりに向けて住民と意見交換するというところが大船渡市は少し弱いんですと彼は少し残念そうに付け加えた。
そんな話をした直後、新しい中心市街地の活性化に向けて市民の声を聞く動きが始まったことを知った。完全にオープンな場ではなく、市役所が声を掛けた数人の市民が意見を述べるという限定的なものではあるものの、行政だけでは町づくりはできないという意思が感じられる新たな動き。会合に参加した人からは、時計台は中心市街地の真ん中につくられる公園に移されるのではないかという話も聞いた。
町は少しずつ動いている。ゼロからとなる新しい町づくりに市民の声や願いや将来の希望が反映されていきますように。