夏祭りの準備が進められる大船渡市。東北では8月7日の月遅れの七夕を中心に、各地でお祭りが行われるが、今年は日曜日にあたるため、祭りの日程がこの土日に集中している。大船渡市盛の市街にあるショッピングセンター「サンリア」のホールにも七夕の笹飾りが登場。夏祭りに向けて盛り上がっている。
笹飾りのとなりでは、ヒロシマとナガサキの原爆についてのパネル展示。8月6日と8月9日に向けて、こちらも毎年開催されているということだった。夏は祭りの季節であるとともに、戦争の犠牲となった人たちを慰霊し、戦争を繰り返さないことを誓う季節でもある。
「復興」という言葉は、21年前の阪神淡路大震災の前までは、「戦後」とくっつけて「戦後復興」として使われるものだった。日本中が焦土と化した中から経済大国としてよみがえった「奇跡の復興」。世界中から驚嘆されたとも言われる日本の復興。復興は、この国のここ100年の歴史の主題であったと言えるかもしれない。
第一次世界大戦後の世界的な混乱の中、再び大戦争の胎動がはじまり、日本はその大きな動きの中で第二次世界大戦の発端のひとつを開くに至る。第二次世界大戦はナチスドイツのポーランド侵攻がはじまりとされるが、そのずっと前から日本は大陸で戦争を続けていた。その帰結としての焦土。二度とと再び立ち直ることはないと思われるほど甚大な被害。日本中から都市が消え去り、町も工業施設も鉄道も港湾も廃墟と化した。原爆が投下されたヒロシマ、ナガサキでは、70年間は草木すら生えぬとまで言われた。復興した後の時代から振り返ると想像しづらいが、71年前の夏、この国は絶望に覆い尽くされていた。
2011年の東日本大震災の後、とくに津波から一夜が明けた3月12日の早朝、破壊された町を目にした人たちの言葉を思い出す。
「ぼくは広島出身で小学校の頃から原爆について授業で学んできましたが、その時の写真や映像を思い出しました。爆心地。眠れぬ夜が明けた後に目にした女川の町は、そうとしか言えない状況でした」
町がまるごと破壊されてしまった姿に、多くの人が70年前の戦後の廃墟を思い起こしていた。女川でも石巻でも、久之浜でも、陸前高田でも。想像を絶する状況に、戦争を知らない世代の人たちも戦争による被害を思い起こした。
「復興」は日本の現代史の大きなテーマであった。日本が廃墟の中から再び立ち上がったことは、若い世代にも刷り込まれている。そして、復興は「当然なされるもの」という漠然とした意識も、日本中の多くの人たちに共有されている。
しかし、70年前の戦争からの復興は「奇跡」と呼ばれた。その奇跡を再び成し遂げようとしているのが、被災地の人たちだ。
震災から21年が経過した神戸の町では、「復興はしていない」と語られる。「外見はきれいになったように見えるかもしれないけどね」と。復興とはとてつもないことなのだ。
東北では震災から5年5カ月が経過しようとしている。立派な駅や商店街ができたり、復興住宅がどんどん建設されていくのを見て、東北は復興したんだと思っている人も多いらしい。東京あたりでは「5年もたつんだから、もういいでしょう」とか、「今さらどうして東北なの?」という人もいる。
2016年夏、復興を宿命づけられた東北は祭りのシーズンに入った。祭りの輪の中にある人々の表情は輝いている。きっと戦後の廃墟の町でもそうだったように、子どもたちの顔には笑顔があふれている。
戦災と震災。そこからの復興。時代背景も経済状況も人口構成も71年前とはまったく異なる中、復興を成し遂げるエンジンは、「復興するぞ」という熱意だけかもしれない。
石巻川開きは今年も熱気むんむん、すごい人出
パレード、御神輿、エイサーにボート競争、そして花火。今年も石巻川開き祭りはたいへんな人出と熱気の中で行われた。
こんなにたくさんの人があふれている石巻だが、祭りの舞台となった中心市街地は震災の津波で浸水し、再開発や再建が進む場所。そしてまた、震災以前からシャッター通りだった場所。
お祭りになればこんなにたくさんの人が溢れるのに、どうして町は寂しくなったのか。
華々しい祭りとのコントラストに不思議な気持ちになる。
「がまだすばい!」大分・熊本から東北へ出張バー
熊本と大分から支援の人たちがやってくると聞いて、聞き間違いかと思った。でもそれは夢でも幻でもなく本当の話。陸前高田の米崎小仮設団地に大分と熊本でバーなどを営業する人たちのグループが慰問にやってきた。
カラフルなカクテルが並ぶ。子どもたちがシェイクする。もちろんノンアル。大人たちにはアルコール入りも。
九州の震災の前から続けられてきた出張バー。被害を受けても続けられる支援活動だ。
8月6日、陸前高田の七夕が動き出す
どうしてこんな朝から山車が動いているの?
地元の祭り組の人たちが驚いた。今日8月6日は七夕祭りの前夜祭。山車のお披露目に向けた最終準備の日なのだが、9時前に山車が倉庫から引き出された。
山車を引き出してくれたのは、全国からやってきた東北スタディツアーの学生さんたち。姿を現した今年の山車にさかんにシャッターを切っていた。