釜石市浜町の避難階段(初夏)

akaheruさんがぽたるに投稿された釜石市浜町の避難場所。小さなお子さん連れのakaheruさんが体験されたのは12月ということだったので、半年後の6月、初夏の浜町の避難場所を歩いてみた。

津波の被害を受けた建物が撤去されて更地になった場所に「津波避難場所」との看板が何カ所か立てられている。そのひとつ、akaheruさんがご家族とのぼられた階段より少し東側、住宅街だった場所の路地の奥にある避難階段をのぼることにした。

真ん中の避難階段は90段で急傾斜

見上げるとそこに目指す避難場所。土砂災害を防ぐためのコンクリート壁の上に、風力&太陽光発電付きの街路灯や津波被害を説明するパネルが見える。かなり高い。

避難所への階段の上り口はゆるやかなスロープで、両側は更地になっている。震災当時、ここにはおそらく住宅が建っていたに違いない。地元の人しか知らない、まるで抜け道のような避難階段だったのかもしれない、などと想像してみる。

民家の脇から、土砂災害防止のコンクリート壁に付けられた階段が始まる。akaheruさんたちが取ったルートは「段差がそれほどきつくなかったため、2歳の息子も登り切りました」とのことだったが、こちらの階段は傾斜がきつい上に、階段のステップが小さくてかなりのぼりにくい。

それでも雑草に覆われることもなく、道は整備されている。斜面にありがちな蔓草もほとんどなかった。地元の人たちが日常的にメンテナンスしているのだろう。

とはいえ、振り返って見るとこんな急傾斜だ。小さな子どもや高齢者にはかなり厳しいだろう。気になったのは左右の手すり。どちらも比較的新しいのだ。5年前の震災当時には、もしかしたら手すりなしの階段だったかもしれない。手すりについては今後調べてみようと思う。

階段の数は90段だった(最初の路地のスロープを入れず)。たかが90段ではあるが、ステップが狭い上に階段自体の幅も狭く、避難する人が殺到すると大人でも危険を伴う印象だった。小さいお子さんや高齢者は後述する別ルートをとった方が無難だ。

階段を登り詰めると釜石市による「津波避難場所」を示す棒杭が立っていた。よく見ると「天王山口(海抜20m)」と小さなシールが貼り付けられている。

果たしてこのシールはいつ貼られたものなのだろうか…

西側75段の避難階段は市役所からも直結

階段を登り切ると、そこから先は緩やかな道。まずはakaheruさんたちがのぼったバイパス脇の階段の方へ移動してみる。この道は緩やかな下り坂で、歩くこと数分で愛宕神社の社に到着。そこから階段が平地に続いている。

いったん平地まで下って避難階段を見上げてみるとこんな感じ。釜石から宮古方面への国道45号線バイパスの橋桁に半分隠れるように、階段が高台の避難場所へつづく。

こちらのルートは幅も広いし傾斜も緩やかだ。下から40段のぼった踊り場の左手は、市役所前の広場に直接つながっている。市民のみならず、市役所職員にとっても命を守る避難場所ということらしい。

愛宕神社までは、市役所につづく踊り場からさらに35段の階段だ。のぼり切った場所の高さはバイパスの高架橋とほぼ同じ。津波避難場所と書かれた棒杭の向こうを自動車がひっきりなしに通り過ぎていく。

浜町の高台中腹をトラバース(横断)するように設置された避難場所の中で、この場所はもっとも低い。ここからは、最初にのぼった階段の合流地点を過ぎて、さらに緩やかなのぼりが続く。といっても大人の足で徒歩5分もかからないほどだが。

中腹をトラバースする道は、よく整備されて歩きやすい登山道といった感じ。傾斜も緩やかだ。とはいえ、車いすの人が自力でのぼるのは苦しいだろう。そもそも、この緩やかな道にたどり着く前に階段を通らなければならないという問題がある。

避難場所のほぼ最高地点には、最初に下から見上げた津波について説明するパネルや街路灯が設置されている。金網から眼下の町を見下ろすと、被害を受けた建物が撤去された跡が駐車場になっていたり、盛り土が始まっていたりする。それにしても足がすくむ程の高度感だ。

クルマでのぼれる第三のルートも

意外だったのは、この避難場所のすぐそばに、乗用車が駐車していたことだ。最高地点からさらに東に少し歩いて道を北側に曲がると、なんとそこは住宅地だった。エンジンが悲鳴を上げるくらい急で曲がりくねった道に沿って、民家が建てられてる。