最初の地震から1週間。益城町にボランティアセンターが開設された当日、比較的物資が届いているように見えた避難所で足りていないのは、箱ティッシュだけではなかった。届けられても使ってもらえなかった救援物資もあったのだ。
[熊本大地震]もらって使いたいと思うものか?
前の記事に書いたように、小学校を利用したこの避難所では、床が大きくたわんで危険な体育館は物資集積所として利用され、救援物資はいったんそこに運び込まれていた。避難した人たちは各教室の床に段ボールや毛布を敷いて寝起きしている。さらにグラウンドには目算で300台近くのクルマが並び、車中避難している多くの人たちがいた。
校舎の職員室近くの廊下と昇降口には物資を配るための場所が設けられていて、ボランティアが体育館から必要な物資を補充する。そんな作業をしていると、避難している人から時々声がかかる。こちらから「何か必要なものありませんか」と声をかけることもある。
ティッシュと並んでニーズが大きかったのがタオルだ。
体育館に走って、物資の仕分け作業をしている地元PTAのお母さんに要望を伝えると段ボール箱ごと「ハイ!」と渡された。走って戻って箱を開けると、お年賀に配るような商店名入りの白タオルが詰まっているように見えたが、その下から出てきたのはタオルはタオルでも使い古しのものが大半だった。
「タオルはないかねえ」と言ったおばあさんは、少し当惑した面持ちでお年賀タオルを何本か持っていく。「タオルあったの?」と他のおばあさんたちも集まってきて、洗濯しているかどうかも分からない、ほとんどウエスに使うようなタオルを摘むようにして少しでもキレイなものを探し始める。
送ってくれた人はどんな気持ちでこのタオルを箱詰めしたのだろうかと思わずにいられなかった。「とにかく緊急時だから送りさえすれば、雑巾にでも何にでも、役立ててもらえるだろうから」という思いが強かったのだと信じたい。わざわざ送料を払ってまで届けてくれているのだから。
しかし、避難している人たちがどんな気持ちで受け取ったのか、その時の表情を想像してもらいたいと思う。何もブランド名の刺繍が入った高級タオルでなくてもいい。清潔なものであることは贈り物をする際の最低限のマナーだろう。教室の床に毛布1枚敷いた上で寝泊まりしている人たちの中には、汚れたタオルを受け取ることで辛い思いを新たにした人も少なくなかったと思う。
まるでデジャヴのような光景
阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の商店街の一角を利用した「震災ミュージアム」のパネルの1つに「救援物資の体験から」というものがある。送ってもらった救援物資の中には困ってしまうものもあったとストレートに記されたものだ。
熊本地震のボランティアで物資の仕分けの手伝いをする中で、神戸新長田のパネルを思い出した。阪神淡路の震災の際に直接目にしたわけではなかったが、まるでデジャヴだった。パネルに書かれていたのはこういうことだったのかという思いだった。以下は熊本でのごく短時間の仕分け作業で実際に目にしたものだ。
・毛皮付のコートなど冬物の古着
・こどもの晴れ着
・クリーニングされていない衣類
・使い古しの下着
・使い古しの靴、革ブーツ
・電池なしの懐中電灯
・ぼろぼろに汚れたおもちゃ(乳幼児が口に含みそうな種類のものまで)
東北で震災を経験した友人にこのことを話すと、「同じことが繰り返されているんだね」と言った。関東近県の知人には「とにかく身の回りにあるものを何でも詰め込んで送ろう」という善意の現れだよと解釈する人もいた。しかし、物資の仕分けをしている人が段ボール箱を開けた瞬間、「これは奥の方に回しといて」というようなものが送られてくるのは残念でならない。汚れたタオルと同じく、使い古しの下着を摘んでしばし躊躇した挙句に「でもせっかくだから一応頂いておこうか」とお礼を言わせてしまう状況が、熊本の被災地にもあったことを報告しておきたい。
救援物資を待つ人たちの住んでいた町
地震から1カ月近くが経過し、被災した町では少しずつ復旧に向けての動きが本格化していると伝えられる。その一方で避難生活の長期化も大きな問題となっている。被災した家屋があまりにも多いのだ。
最初の本震が前震とされることになる本震が発生した後も、大規模な余震が続く今回の九州の地震。次にまた新たな「本震」が来るのではないかという恐怖が広がる中、被災した建物の片付けも困難だ。しかも強い雨もしばしば降っている。住居の中にあったものは家具も衣類も日用品も容易には取り出せない。取り出せたとしても使えない。
いま避難所や駐車場の車中に身を寄せているのは、ほとんど着のみ着のままで難を逃れて来た人々だということを思い出してほしい。
※ 熊本地震の被害を伝えるため、個人の住宅の写真を掲載させていただきました