4月21日早朝、何とかして熊本城の天守閣が見える場所を探そうと歩き回る中、しっとりとしたたたずまいの寺院に似つかわしくない土嚢袋と、土嚢袋に収めきれない瓦のがれきを見た。
[熊本大地震]江戸初期創建の歴史ある寺院で
熊本市中央区京町。熊本城に連なる高台の古くからの町並みの中にある宝聚山愛染院。肥後熊本藩初代藩主細川忠利が創立した歴史ある寺院の門には、黄色の紙が貼り出されている。
LIMITED ENTRY――要注意
注記として記されているのは、基礎の被害、柱の傾斜、瓦落下の危険性。
応急危険度判定は、今後この建築物が使えるかどうかを判定するものではない。あくまでも現時点での危険度を示すものだ。
とは言えあの日、この静かな寺院に瓦の雨が降った。
東日本大震災の地震被害の話を思い出す。立っていられないほどの激しい揺れがようやく収まって、外に出た人の目の前には落ちた瓦の残骸が積み上がっていた。さらに落ち続ける瓦、激しい音、舞い上がる土煙が地震を逃れた人たちの気持ちを震撼させた。そしてあの時には、茫然としている人たちをさらに津波が襲った。
熊本地震では津波こそ起きなかったものの、瓦の雨が降った後、町は余震の恐怖と将来への不安の底に沈んだ。
瓦の雨は一度に降った訳ではない。最初の地震、2日後に起きた本震とされる地震、引き続き発生している大きな余震でも、屋根の上に残った瓦は降り続けている。
ここにあるのは「落ちた瓦」という物体ではない。古い寺院の屋根の上にあったものが地面に落ち、人々はそれを少しでも片付けようとした。そして土嚢袋にも入れ切れずに門の前に置かれている。最初の地震から1週間。時間と、その経過の中での人々のこころの動きが、震災ゴミという形をとって映し出されている。
あるいは創建から今日までの歴史と、再建に向けての将来の時間をもここにはあるのかもしれない。