伊豆の函南町に陸軍病院として創立された古い病院がある。病院が開かれたのは第二次世界大戦が終わる前年の1944(昭和19)年の春のこと。終戦後、病院の管轄が大蔵省から逓信省に移されて、現在NTT東日本伊豆病院となっている。
けっこう広い病院の敷地内には、地元の人たちに愛されてきた桜並木がある。病院が開設された72年くらい前に植えられたものなのか、その後植樹されたものなのかは分からないが、かなり立派な桜並木が今年も満開を迎えていた。
ただ、ひとつ残念なのは、桜の開花と古い病院の建物の解体工事がドンピシャのタイミングで重なってしまったこと。
桜並木に散歩にやってきて、携帯のカメラを桜の花に向けていた地元の人たちは、すれ違う人、すれ違う人の全員が「今年は工事中なのがね~」と同じように言い、桜の花を愛でながらも、可哀想ねと慈しんでいた。
そんな春の伊豆の桜を写真でご紹介。
何も並木道の真ん中に養生パネルを設置しなくても、と思わずにいられないが、桜の木に目を転じると、その立派さに驚かされる。陸軍病院として開設された頃に植えられたのだとしたら樹齢は70年以上ということになる。ソメイヨシノの寿命を考えると、そうとうの老木。それでも今年も花をまとった美しい姿を見せてくれた。
この桜の木、いったい誰がどんな思いで植樹したのだろうか。
函南町のとなり町に住んでいる、今年で89歳になる方にこんな話を聞いたことがある。その方は昭和19年の春、現在の高校に相当する商業学校を卒業して、そのまま海軍に入隊。予科練で特攻隊のパイロットになるべく訓練を積んでいたのだという。
幸い訓練途中で終戦となり生還することができたが、その後になって母親から「桜を植えた」と聞かされた。
「近くの神社の境内にね、神社の桜だったら取られたり折られたりしないだろうということで植えたんだと言っていました。その当時のことだから、軍隊に入隊する息子に生きて帰ってとは言えませんから、武運を祈るという名目で植樹したのでしょう。でも、自分には母のその気持が私を守ってくれていたようにも思えるんです」
花には愛でる人の言葉や、植えた人の気持を受け止めて咲く力があるのかもしれない。
かつて陸軍病院だったこの並木道の桜はどんな物語を見てきたのだろう。戦地で傷ついて帰国してきた多くの兵隊たち、家族や友人を亡くしたり、傷痍軍人となった人たちの人生の節目になったであろう病院。当時はきっとひょろひょろの苗木だった桜が、当時の人々の思いを醸し、今年もたくさんの人々の気持を物語るように咲いている。