【シリーズ・この人に聞く!第97回】中学受験ビジネスの実態に迫るジャーナリスト 横田増生さん

過熱する一方、ポジティブな情報は溢れていても肝心なところは不明のまま。一体、金銭的・心理的・時間的な負担はどのくらいのものか?を徹底的に取材、分析された新刊「中学受験」(岩波新書)。著者の横田さんは自らも小学生を育てる父親であり、これまでアマゾンやユニクロといった企業の構造を綿密な取材を元に実態に迫った気鋭のジャーナリスト。中学受験を考える親をはじめ、受験が終わってこれから私立中高一貫校へ通う親にも読んでほしい一冊です。この新刊へ託した思いをじっくりお聞きしました。

横田 増生(よこた ますお)

ジャーナリスト。1965年福岡県生まれ、関西学院大学を卒業後、予備校講師を経て、アメリカ・アイオワ大学ジャーナリズム学部で修士号を取得。93年に帰国後、物流業界紙『輸送経済』の記者、編集長を務める。99年よりフリーランスとして活躍。著書に『アメリカ「対日感情」紀行』(情報センター出版局)、『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』(朝日文庫)、『ユニクロ帝国の光と影』(文春文庫)、『フランスの子育てが、日本よりも10倍楽な理由』(洋泉社)、『評伝 ナンシー関---「心に一人のナンシーを」』(朝日新聞出版)など多数。近著に『中学受験』(岩波新書)。

息子が通った受験塾から感じた違和感。

――ちょうど去年の今頃、こんな本を書こうと思って取材している…とお聞きして私も微力ながら協力させて頂き、この新刊とてもおもしろく拝読しました。こういうテーマって体験談を踏まえての話だけでもおもしろいのですが、横田さんの場合は裏付けデータもふんだんで、なおかつたくさんの方へ取材もされてコメントを取っている。だからすごく信ぴょう性があるし、「中受ブーム」の事象の捉え方が冷静です。まず、この本を書いたきっかけを教えてもらえますか。

当初、息子の中学受験を念頭においていろいろな関連書籍を読み漁りました。私立中高一貫校はまるで「夢の楽園」といった描かれ方で、読めば読むほど果たして本当だろうか?書かれていることだけを理解すればよいのか?…という、不安というか違和感が膨らんでいったのです。本来なら情報には、プラス面もマイナス面もあるはずです。でも、プラス面しか出さないようにしているのなら…全体像を見誤ります。いいカードも、悪いカードも、どちらもテーブルの上にのっけて話さないとダメなんじゃないか?と思ったのが、このテーマを書くことにしたきっかけです。

『アメリカ「対日感情』紀行』(情報センター出版局)アメリカに対するステレオタイプ的な報道に疑問を持ち、全50州、計150人に及ぶアメリカ人へのインタビューを敢行。1年半を費やした取材の成果をまとめた2000年に上梓、デビュー作。

――その通りですね。結局、中学受験を煽っているのは塾の存在だけでなく、メディアの役目も大きいですし。横田さんはお仕事柄、疑問に思われる視点もお持ちですけれど一般人は、雑誌や新聞に載っていることは信じてしまいますよね。

息子が誕生したのは2002年で「ゆとり元年」でした。僕は地方出身で高校までは公立校育ちですから、東京には私立中高一貫校という素晴らしい教育システムがあるのか?という感じでした。読めば読むほど中高一貫校は楽園のように思えましたし。息子が小学校に入学するころには中学受験を意識するようになって、小3の2月から日能研に通い、小4の2月にSAPIXへ転校し、小5の夏、息子が体調に異常をきたしたので辞めました。今は体力づくりのために剣道を習っています。もし、体調が悪くならなければ…まだ中学受験レースに乗ってやっていたかもしれませんね。

――体に症状が表れるのは正直ですし、受験の呪縛が解けて元気快復してよかったです。受験塾にも相当お金がかかります。本ではファイナンシャルプランナーの方へ取材もされて中受で掛かる分の試算も細かくされています。でもこの時代、計画通りに行かないことがほとんどで一寸先は闇…かもしれませんけれど。

中学受験に関する出費の話って調べてもなかなかストレートには出てこなかった。塾に200万円、中高一貫校に500万円掛かるという概算をほとんど書いていない中学受験関連の書籍もある。塾発信の書物なんかでは、その辺ぼんやり。しかも、中高一貫校に合格しても、入学した途端にまた塾が始まるケースも少なくない。今度は大学受験のために準備…となります。そういうことを大手の受験塾の広報誌の編集長に聞くと「それは勉強が好きな子が、もっと勉強がしたくて塾に行っているんです」という。どこまでもカモっているなぁ…と思います。だから読者の方には、そこを気づいてほしいし、塾が発信する情報は割り引いて受けとめたほうがいいということを伝えたいのです。

――この中学受験レースを始めちゃうと途中で降りる、引き返すことが親子共難しくなるというのもありますよね。そして実は私立中高一貫校へ入学してからもいろいろある…。

中学受験を途中で降りるのも勇気がいりますし、そういう事例もこの本には載せています。数字的には「辞めたい」と思っている人も相当いる。入学後は「いじめ問題」もあります。でも確かにあることなのに、私立は都合の悪い情報を外部に漏らさないようにすることもある。実際は中に入って当事者にならないとわからないことも多い。いじめ問題は、公立校なら教育委員会が各校に指導できるけれど、私立へは同じようにはできないのです。文科省も東京都も警察も、たとえいじめが起こっても誰も介入できない。学校の中で葬り去られることなのです。

ポーカーフェイスで追跡する緻密な取材魂。

――ところで横田さんはジャーナリストになるまでどんなお仕事をされていたのですか?

大学卒業後は新聞記者になるつもりでしたが、就職活動する時期が遅すぎて募集が終わっていて。それで予備校で英語講師をしていました。大学時代の専門は英米文科。クラブはESSに所属していたので英語は実際に使うのに苦労しないレベルまでになりました。でも、中学・高校の頃は「こんなもん使うわけない」と言い訳しながら全然勉強しなかった。予備校で教える側になって初めて本腰を入れて勉強したので、基礎の大切さを改めて知りました。

『ユニクロ帝国の光と影』(文春文庫)なぜ、正社員が1割しかいないのか?調査報道によってユニクロの真の姿に迫る。

――基礎を勉強する姿勢が、数多くの裏付けデータとか、取材する人からコメントを引きだす力にもなっているように思います。でも、いじめのあった学校取材では御苦労もおありだったのでは?

いじめの起こった学校には最初、普通に学校取材をということで訪ねて、最後に、いじめ問題について話を聞かせてほしい…というと校長先生が震えだしてしまって、理事長や広報担当者が出てきて「そんなことを聞くなんて今回の取材趣旨と違うからおかしい」と言われたり。最終的に1対5になりましたが僕は怯みませんでした。だって『おかしい』という言葉は学校の立場から言っていることでしょう?保護者にとってみれば、その学校について知りたい情報なのですから隠す方がおかしい。必要があると思っているから聞いているわけで、事実を確認させてほしい…と僕は言いました。場数も踏んでいますからプレッシャーには負けませんが、胃は痛みますよ(笑)

『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』(朝日文庫)自らアマゾンの心臓部である物流センターで半年間働き、その体験を元に躍進するIT企業の驚異的な成長の裏に隠された真実に迫る。

――ジャーナリストとして大事な資質ですね。中学受験って合格して終われば一丁上がり…みたいな気分になりますが、実はその後退学して公立中に転校したり、いじめ問題があったり、学校行けずに引きこもったり…ホントにいろいろありますが、そういう情報も学校側は一切出しませんからね。

中学受験は塾発信の情報がほぼすべてです。小学校は関わらないですし、ある意味で塾はやりたい放題です。高校受験は中学校が必ず介在しますからある程度の情報は得られます。お金がいくら掛かって、人間関係がどんなものなのか、問題があっても誰も対処しないとか、この先もっとお金が掛かっちゃうかも…とか。そういう情報も出して初めて中学受験をどうするか?という話しが始まるのだと思いますよ。いいカードは既にたくさんのメディアが出して刷りこまれていますが、悪いカードも揃えてこそ。中学受験で700万を使う前に、840円のこの本でそういう情報が得られるなら安いものです(笑)。

――おもしろい(笑)。横田さんの場合、教育分野だけではなくジャーナリストとして企業の問題点をあぶり出す本を何冊も書かれてきました。特にアマゾン、ユニクロといった新鋭企業の実態に迫る著書は注目され、ユニクロには裁判で勝ちました。発奮の源は何でしょう?

なんでもそうですが、出てくる情報が良すぎる場合は胡散臭いと思ってほしい。3年ほど前に『ユニクロ帝国の光と影』という本を書きました。この本を書く以前、ユニクロについて書いた本のほとんどは、“ユニクロ礼賛本”でした。しかし、先にお話した通り、物事にはいい面があれば、悪い面もあるわけで、そこを調査報道という手法で書いたわけです。すると、ユニクロ側が版元である文藝春秋に対し2億円を超す名誉毀損で訴えてきました。ただ、そこで負けたくないと思ったのは、事実を伝える役目がジャーナリストにはある、という思いでした。それは、この『中学受験』を書く際にも同じ気持ちです。

教育格差は社会全体、国の停滞を招く。

――中学受験の問題点を探っていくと、教育格差が浮かび上がってきます。これはこの国の問題でもあり横田さんのご著書でも第六章「教育格差の現場を歩く」に掲載されています。

中学受験の取材を進めるうちに、親の収入の多寡によって教育環境がどこまで違ってくるのか?親の低所得というハンディを背負いながら学ぶことを余儀なくされた子どもたちはその後どのような人生を歩むのか?という点が知りたくなりました。6年間で1700万円掛かる全寮制の私立中高一貫校へ通える子どもがいる一方、生活保護家庭の子どもが通う学習支援塾へ通う子どもがいる。学習レベルも施設環境にも雲泥の差があるわけです。それでいいのか?ですよね。明治時代に封建制度から民主主義に変わったのは、誰もが平等に教育を受けられる権利「教育の機会均等保障」がベースにありました。それなのに今は、逆行しているのではないか?と。

『フランスの子育てが、日本よりも10倍楽な理由』(洋泉社)日本の少子高齢化を解決するヒントはフランスにある!

――横田さんは息子さんが小さな頃フランスで暮らした経験がおありですから、フランスと日本の教育制度の違いを実感されていらっしゃるのでは?

フランスも日本と同様に学歴社会です。しかし、フランスは公教育で大学卒業まで無料。できるだけ同じ条件で子どもたちを競争させるという考え方が、フランスの教育制度の根底にはある。だから4人の子のシングルマザーでも、4人とも大学まで行かせられるのです。日本は年収1500万円の家庭に生まれるか、生活保護受給の家庭に生まれるか…によって受ける教育に歴然と差がある。就ける職業も限定されるのなら社会全体が歪んで停滞します。それでいいのか?ということを世に問いたいのです。

――「教育はお金を掛けてこそ良い環境が得られる」と勘違いする人が増えてしまったのは、ビジネス化した受験産業とマスコミの影響も大きいと思います。『楽園はない』と早い段階で認識できるといいですね。

高い塾代を掛けて志望通りの私立中高一貫校へ合格できても、それで終わるのではなく入学した途端に次の目標である大学受験へ向けての塾通いが始まります。とてもお金が掛かりますし、体力も学力も求められ、親子共々疲労困憊するケースもある。お金が掛かるということを前面に出さずに「とてもいい教育環境」という言葉に刷り変えられているのはおかしい。隠さずに全部の情報を並べてから、中学受験をするのかどうかを判断しないと間違えます。私立中高一貫校を辞めた生徒の率こそ、データ公開してほしいものです。

――本当にその通りだと思います。著書の最後のほうで公立中高一貫校についても取り上げています。個人的にはこの国が進むべき方向は公立中高一貫校で、むしろ義務教育課程としてこの6年間を国で制度化すべきなんじゃないか?と思いますが、公立中高一貫校が今後増えると思われますか?

東京都の教育庁は現時点では、その方向はないと言っています。結局、納税負担の増加が必要になる話で、簡単なことではないのでしょう。私立中高一貫校は言ってみれば、10万円のバットを買って野球をするようなもの。誰もが皆バットに10万円掛けられませんし、そのバットがなければ野球ができないのなら教育の機会均等が保障されていないわけです。そういうやり方は民主主義に反するのではないか?と思います。2008年のリーマン・ショック以降、私立中高一貫校は受験のピークを終え、2011年以降に都立の中高一貫校が高い進学実績を出すようになってから、明らかに受験生の流れが変わってきています。公教育への回帰に今後も注目していきたいと思います。

編集後記

――ありがとうございました!これまで書かれてきた著書すべて、緻密な取材を元に真実に迫っています。ふだん私たちが目にしているのものは、刷りこまれていた一面だけなのがよくわかります。ジャーナリズムの原点ともいえる深い問題意識、そして長いモノに巻かれない反骨精神。淡々と真面目にお話しされている一方で、ちょっとお笑い系の血が流れているようなトボケたトーク。書籍だけでなくライブで問題提議をすると同時に、このおもしろさを届けたいと思い、3月29日に横浜で教育トークライブに出演して頂くことになりました。詳細は下記をご覧ください。「中学受験」の捉え方が変わるかもしれません。

取材・文/マザール あべみちこ

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