【シリーズ・この人に聞く!第83回】世界に発信するマリンバ奏者 SINSKEさん

ピアノやヴァイオリンは馴染み深いものですがマリンバのおもしろさはひときわ。他の楽器とコラボしても単体であっても奥深い豊かな音色を奏でます。その打楽器をパワフルに演奏するSINSKEさん。ステージではフリルのシャツをたなびかせ「マリンバ界のプリンス」として注目の的。なぜマリンバなのか?これからどんな音楽活動をされたいか?などお聞きしてみました。

SINSKE(しんすけ)

3歳よりピアノを始め、13歳より打楽器を、20歳よりマリンバを演奏。桐朋学園大学音楽学部打楽器科を首席で卒業し読売新人演奏会にて演奏後、ベルギー政府特別奨学金の資格を得て留学。ベルギーにてブリュッセル、アントワープ両王立音楽院、各打楽器科を首席で卒業。フランス・パリ市立音楽院のソロスペシャリゼーションコースを優秀な成績で終了。「テヌート2000音楽コンクール(ベルギー)」にて最高位、ベルギー著作権協会賞も重ねて受賞。「トロンプ2000国際音楽コンクール(オランダ)」にて第3位を獲得。「第3回世界マリンバコンクール(ドイツ)」にて第2位を受賞。この他にも数々のコンクールに入賞。

一心不乱に何かを目指すより、自然な流れに身を任せ。

――SINSKEさんがマリンバという楽器に出会うまで、どのような環境で音楽に触れていたでしょうか?

母がピアノ講師をしていたので3歳からピアノのレッスンはしていました。僕が小学1年生の時に父が亡くなって、母一人で僕を育ててくれました。父はオペラ歌手のマネージメントをする仕事をしていたそうです。チェルニーとか大嫌いでピアノの練習が苦痛でたまらない時期もありました。とにかく40分はピアノの前に座ることがルール。なぜ40分だったのかわかりませんが(笑)ピアノを弾かずにただ座って40分過ごしたこともありましたよ。小6までそんな感じで母にレッスンを仰いで続けました。でも中高は私立の男子校で過ごしたので母親の影など感じさせるとマザコンだと思われてしまうので、母親と仲が悪いというスタンスでいました。

幼少期に、父と初めて飼った犬と一緒に。

――1日40分の矯正練習があってこそ、のこともおありだったのでしょうね。中学校ではやはり音楽を?

それが入学後ラグビー部に入ってしまった。それで2年生になって足を痛めていた時、バスケ部から音楽部へ転部したい友達が「音楽部の部室まで一緒についてきて」と言われ、ついていったのがきっかけでなぜか僕も一緒に音楽部に入部することに。「キミは何か音楽やっていたの?」と先輩に聞かれて「まぁピアノはやってましたけど…」「じゃあ何の楽器やりたいの?」「じゃあサックスかトランペットを…」「それは人気があって埋まっているパートだけど、今なら打楽器は1名募集してるよ」なんてやり取りがあって、結局「じゃあ…」と入部することになりました。

――なんだかスゴイ。それって運命じゃないですか!

いや、後から聞いたら打楽器の人数が足りなかっただけで誰でもよかったらしくて(笑)。でも、そこでサックスができることになってたら運命変わっていたかもしれませんね。同時に入部した友達も結局打楽器に入れられて一緒に始めたのですが、彼は俗にいう「スマートな人」。何でも理解もはやいし身につくタイプだから打楽器の演奏もよくできた。同時に入部した僕はいつも比較されるわけです。もういいや!ってクラブ活動よりもバンド活動のほうに移行して4つくらいバンドかけ持ちして遊びで忙しかった時に、友人の彼がまたバスケ部に戻ると言い始めた。桐朋は高等部が中等部の生徒に指導するというシステムで、「なら、お前が戻って教えてやってくれ」と。それで再びクラブ活動へ戻ったんです。

――何度か運命のポイントがあるわけですね。自分がガッツリ「こう!」と決めなくても自然と流れができているような。

そうですね。それから真面目にクラブ活動に戻り、高校生になって打楽器を叩けるようになったわけですが大体2年生でクラブ活動は終わり。夏に集大成のコンサートをして引退してから大学受験の勉強するため塾へ通うようになります。引退してから高2の12月にトランペットを吹いていた同級生のお父様で、桐朋学園大学の作曲家教授から封書で手紙をもらったんです。しかも便せんではなくてスーパーの激安!みたいなチラシの裏に鉛筆のなぐり書きで『しんすけくん。夏のコンサート拝見しました。桐朋学園大学の作曲科に入学したくありませんか?僕はいつでも待っています』という内容でした。インパクトすごかったですし、自分が予想だにしないことを提示されるおもしろさもあって「じゃあ1年だけやってみようか」と。それから桐朋音大受験のために6人も家庭教師についてもらい猛勉強を始めました。

スパイスからステーキへ!打楽器のイメージ180度転換。

――音大受験についてお母様は何ておっしゃっていらした?

昔から「音楽は仕事にしない方がいい」と言われてきたんですが、まあ1年だけならやってみれば?と最終的に送りだしてくれました。お金もかかりますし、うちは母一人で頑張っていましたから。クラシックは、少年少女時代からトレーニングしていくものなので、友人からの誘惑も多く、本気で続けていくには、ある意味ご両親の意思により多少コントロールしていく時期、また根気強い励ましがある程度ないと続けられないと思います。勿論人にもよりますが、「音楽の才能」とは「努力を続けられる才能」のことかもしれません。

学校の音楽部やバンド活動に明け暮れた中学生時代。

――猛勉強後、現役で桐朋音大へ入学されてからの音楽活動は変わりましたか?

桐朋音大には幼少期から英才教育を受けてきたような人がたくさん入学します。そんな中でどちらかというと劣等生だった自分が合格してしまった。入学して2年間位は皆についていくだけ大変でした。高等部まではブラスバンドでしたが大学になると全否定され「音楽の最高峰はオーケストラだ」と…。それでだんだんオーケストラの良さを知って、その環境に馴染んでいったのですが、ふと「オーケストラは自分が100%いかせる場ではないのでは?オケの中で打楽器の存在は、いわば塩コショウ。強すぎると邪魔だし、無いと何か物足りないという。

――オーケストラの中では、おそらく隠れた存在ですよね。

もちろん主役になる曲もあります。オーケストラは、いわばさまざまな楽器の職人さんの集合体。それは意味のある、価値のある素晴らしい仕事です。でも僕のキャラクターと合うか?というと非常に不可解な気がしたんです(笑)。割と思い付きで行動するほうですし、もっと表現したいのになぜ座って待っていないといけないの?みたいな。僕はおもしろそうなものがあると手当たり次第に手にとって確かめたくなるタイプ。それでオーケストラは向いていないかな…と思ったのが大学4年生頃でした。

――音楽家として、マリンバ奏者として、生きて行こうと決められたのもその時期ですか?

そうはいってもオーケストラ演奏のバイトで生活をしていましたがマリンバとの出会いはその頃でした。後に師匠となる安倍圭子さんのマリンバコンサートに行って、それはそれはビックリしました。打楽器は「スパイス」のイメージだったのが「クリエーティブ」の塊のように感じました。楽器を通して自分の人生を投影しているかのような。コンサートを終わった時の映画一本観終わったようなぐったり感(笑)。これまでコンサートでは、モーツァルトのあの曲がよかった…という具体的な感想でしたが、コンサート全体のストーリー性が絵巻きのようでした。僕にとって打楽器がスパイスからステーキに変わる瞬間でした。このメインディッシュをもっと食べてみたいと思ったんです。

自分のことを知らない人ばかりの国へ行ってみよう。

――大学卒業後に海外へ留学もされてますよね。やはり音楽を学ぶには海外が拠点になります?

マリンバは安倍圭子先生のところへ個人的に通ってレッスンを受けてました。でも「彼って打楽器の人だよね?」とか「きみのは打楽器でマリンバではない」とかどうだっていいじゃん的なことでけなされたりもしました。打楽器の人がマリンバをやってるという固定観念を払しょくしたかった。そういう閉鎖的な環境でマリンバをやるのは得策ではないかなぁと。日本にいると皆同じ曲をやっていてクリエーティビティがないですし、ならば思い切って自分のことを知らない人ばかりの国へ行ってみようと。

世界に羽ばたくマリンバ奏者として活躍中。

――そういう気づきと行動力は素晴らしいです!あたらしいコトを始めようとする気合いが感じられます。

どこの国に留学するかも決めていなかったので、とりあえず車でヨーロッパをあちこち旅してみた結果、留学先はベルギーに決めました。ヨーロッパ各国に出やすかったし、パリなどに比べると生活しやすかったからです。ベルギーはフランス語、ドイツ語、オランダ語が公用語で多国語が入り乱れていましたが英語だけは大学時代、留学生もいたので生活に困らないレベルで話せました。マリンバが有名でないベルギーなら、これから有名にできるのではないかという気持ちもあってコンクールでは1位になりました。

――マリンバ奏者の先駆者としてベルギーで燃えていたわけですね!そういう夢とか大志、なかなか大人も子どもも今持てなくなっています。SINSKEさんなら、そういう子に対してどうアドバイスされますか?

まず正面から向き合ってあげるべきだと思います。ご家族にもよりますが、親も子どもを避けたり怖がったりする。でも子どもは正面向き合ってガツンと話してあげないと。親子でよけあって進んでいくのはよくないです。僕も生徒にレッスンしていますが、一番難しい時期は中2から高1にかけて。誘惑の始まる時代ですし(笑)。その時期をなんとなく過ごさせない。練習してこなかった子の演奏はすぐ見抜けます。練習しなかったことを叱るのでなく、なぜ練習できなかったか?今何に興味があるのか?そこを話さないとダメ。「あの時やっておけばよかった」と後悔はしてほしくない。だから1ヵ月楽器に触れないで、それで何とも思わないなら辞めればいいですし、やっぱり楽器に触れたいなら続けるべき。僕はピアノをやっていたことが、マリンバを演奏できることになった要因のひとつだと思っています。

――やっぱり基礎は大事ですね。では最後に来年のマリンバ奏者としての抱負と、SINSKEさんと同世代の親たちへメッセージを。

マリンバをもっと知ってほしい。マリンバという楽器を選択するきっかけを一つでも多く作っていきたいと思っています。ジャズでもクラシックでも僕はどちらのコンサートでもできます。子どものことは、いいところを褒めてあげることが大事。僕は母から褒められても「僕のこと好きなんだから当然でしょ」という感じでうれしくはなかったのですが、やはり1日40分のピアノの練習という環境を与えてくれたことには感謝しています。といっても、感謝を態度に表せるようになったのは最近なんですけれどね(笑)。

編集後記

――ありがとうございました!ステージで拝見するSINSKEさんはヒラヒラ&プリンスなコスチュームがお似合いなマリンバの貴公子。今回ぐっと間近でお話しをお聞きして、ますますキラキラ王子度アップ!なのにエネルギッシュな演奏される気骨ある男気。そんなギャップが女性ファンを魅了するところなのかも。新しい何かを始めるには、誰も道は用意してくれません。でもだからこそ挑戦のしがいがあります。これからもスマートにヒラヒラとお袖のフリルをたなびかせ全身全霊でマリンバを奏でてくださいませ。クリスマスライブも楽しみにしてます!

取材・文/マザール あべみちこ

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