息子へ。東北からの手紙(2016年2月27日)「福島の知人が激怒した東京電力のキャッチフレーズ」

私の知る限り福島の人たちは東京電力にやさしい。そりゃもちろんあんな原発事故を起こした当事者企業なのだから、事故を起こした福島第一だけではなく、危うかった第二原発も含めて、福島県では県内10基すべての廃炉を県議会でも決議している。再稼働してほしいなんていう人に会ったことはない。

しかし福島県、とくに浜通りと呼ばれる沿岸部では、家族や親戚、友人の誰かが東京電力関連の仕事をしてきたという現実がある。原発のおかげで町が潤ってきたのもゆるがせにはできぬ事実だし、東日本大震災の原発事故が起きる以前から迷惑料なのか地域協力料なのか、自動的にお金が振り込まれるという状況もあった。反対のためだけの反対などできないというのがコモンセンスだったのだと思う。

だからなのか何なのか、その思いの奥底にあるものまでは分からないが、原発事故後、浜通りの知人から聞くのはこういう話が多かった。「原発はいらない。でも発電所で働いている東電の社員が悪いわけじゃない」「福島県の原発はすべて廃炉にしてほしい。それはいい悪いという以前にケジメというものだから」。ケジメのための廃炉という言葉が素直に理解できなかったあの日のことを思い出す。

被災したわけでもない地域外からの訪問者である自分が東電に批判的なことを言うと、「そうは言ってもね」とたしなめられるような場面も少なからずあった。それくらい、私の知る限り福島の人たちは東京電力にやさしかった。好意的ですらあった。

しかし去年、東京電力が電力自由化を睨んでなのか何なのか分社化を表明し、それに付随して発表したコピーには、私の知る限りほとんどの人が「ふざけるな」と怒りの声をあげたのだった。

震災と震災の後に起きたことを地元の人たちは「たとえ忘れたくても忘れることなんかできない」のだ。なのにしらっと「私たちは福島を忘れない。」ときた。

身内が東京電力に勤めているという人でさえ許せないと言った。「加害者なのに」とまで言った。「加害者のくせに、どうして忘れないなんて他人事のようなことが言えるんだろう。まったく信じられない!」と語気を荒めた。

そんな声、そしてそんな状況はちゃんとみんなに届いているのだろうか。

人間が生きて行く上では経済活動は必要不可欠だ。しかしそれがすべてではない。

原発という非常にナーバスな施設の立地を巡り、外からでは伺い知ることのできぬほどの関わりや手だてを通して原子力発電という事業を断行してきた企業が、その地域の人たちを悲嘆のどん底に陥れる事故を起こした後「私たちは忘れない」などと言い放つ。

人間と人間の関わりが世の中のベースだと信じて、原発はいらないけど東京電力は敵じゃないと信じてきた人たちは、そのコトバに何を思っただろうか。

世界でも最大規模のエネルギー企業という、彼らにとっての誇りがストレートに表現された結果、絶対にあってはならない原発事故の被害を受けた人たちが、実害の苦しみの外にさらに精神的に苦しめられる。その状況を物語っているのが、まるで空文でしかない「挑戦するエナジー」であり、その次の行に記された「私たちは福島を忘れない。」というコトバなのだ。

言葉を担うのが人間である限り、ことばとは人間性を支えとして、こころを踏ん張りどころとして、まるで存在を賭けて立脚するような覚悟のその先に生まれてくるものだ。かたちだけカッコいい空疎なコトバなどなんの用を為さないのだ。むしろそんなコトバを排撃するところからこそ、次の時代のことばは生まれてきた。

「私たちは福島を忘れない。」とのコピーのつづきを見てみようか。

この決意を胸に、廃炉という前例のない取り組みに立ち向かうこと。

引用元:今年4月、東京電力は生まれ変わります。|東京電力

どんなコピーにしましょうかっていう会議の中で語られたコトバまで想像できるよ。こんなコトバを連ねる背景に、取り返しのつかない酷いことをしてしまったという意識がちゃんとあったんだろうなってことも分かる。だから「決意」とか「前例のない取り組み」とか、無意味に威勢のよい言葉が連ねられることになる。

逆説的に考証するなら、とてつもなくヤバいんだろうなと全員が思いながら突っ走ってきた原子力、否、核というものの愚かさが、このキャッチコピーをつくったライター、そして請け負った広告代理店、もちろん発注者たる世界最大規模のエネルギー企業の人たちの思考回路に刻まれていた。でなければこんなコトバが世に出ることはない。

このコトバは腐り切ってると糾弾し、大声で叫び立てることもできるだろう。だがこれまた逆説だが、まだ立ち戻る可能性はあるかもしれないとも思うのだ。なぜなら彼らの空疎な言葉は、加害者たる自覚の上に、その負い目を覆い隠し、雲散霧消するためにつくり出されたものでしかないのだから。

こんなコトバを生み出したのが機械やロボットではない人間である以上、変えていく可能性は必ずあるはずだ。おそらくは、未来は1人ひとりの個人としてのこころの中にあるものにかかっているのだと思う。

福島第一原子力発電所で酷い事故を起こし、震災からまる5年経ってた今もなお多くの人々を苦しめ続けている事実を踏まえて、東京電力のステートメントをシェアしたい。これが一体何なのか、みんなで考えようではないか。

今年4月、東京電力は生まれ変わります。

東京電力は、2016年4月を目途に、他の電力会社に先駆けて3つの事業部門を分社化し、ホールディングカンパニー制に移行します。福島第一原子力発電所の事故の「責任」を果たし、エネルギー産業の新しい「競争」の時代を勝ち抜いていくために、大きな変革を実行してまいります。

東京電力のブランドメッセージ
TEPCO
挑戦するエナジー。

私たちは福島を忘れない。
この決意を胸に、廃炉という前例のない取り組みに立ち向かうこと。
大胆なイノベーションで、お客さま一人ひとりの
くらしや仕事のニーズに応えていくこと。
それが、私たち東京電力の挑戦です。

引用元:今年4月、東京電力は生まれ変わります。|東京電力