今日は福島で育ったおいしい大麦のお話です。
「麦踏み、やってみないかい」と福島県いわき市で農業を営む佐藤三栄さんから誘われたのは2014年12月頃のこと。麦踏みという言葉は辛うじて知ってはいました。「麦は人に踏みつけられ、痛めつけられて、それでも立派に育つんだ」とか「寒の厳しい頃に麦踏みを手伝うのは辛かった」といった話をこどもの頃、大人たちから聞かされることがあったからです。でも、麦踏みを体験したことはありませんでした。
もちろん、なかなかできないことを経験させてもらうのはありがたいことです。二つ返事で是非とも!とお願いして、2月中旬におじゃまする約束をしたのです。(実は佐藤さんたちにとっても、大麦を作るのはほぼ初めてのことだったそうです)
寒風の中、麦踏した「冬」
どうして麦を踏みつけなければならないのか。寒い冬にようやく芽生えた麦を踏んづけるの酷な感じもします。麦踏みに向かう途中、仲間たちと理由をあれこれ夢想してみました。田んぼのイネは根っこ近くの節からどんどん枝分かれして茎の本数を増やしていきます。麦を踏むとそれと同じ効果があるのかもしれない、とか、伊豆で盛んなイチゴのポット栽培では敢えて小さな鉢を使うことでイチゴに「生存の危機」を感じさせて甘い実を付けさせると聞いたけど関係あるのだろうか、とか、牡蠣養殖で幼生の時に水から揚げてストレスを与えて強い幼生を選別することと同じかもとか。
麦畑に到着すると、そんな妄想より何より、まずは麦の芽を見て驚かされました。芽生えて数カ月にもなるはずなのに小さいのです。しかも、イネの苗よりもずっと緑が濃くて葉も厚めな感じ。けなげに生きている雰囲気がひしひしと伝わってきます。
麦踏み体験を始める前に農家の佐藤三栄さんと飯島助義さんが、麦を踏む目的と麦踏みの仕方をレクチャーしてくれました。
まず、麦を踏むのは麦を傷めつけるためではない、とのこと。
「寒い時期は土の中の水分が凍って、麦の根もとが霜柱みたいに持ち上がってしまうんだね。そうすっと根が枯れてしまうんで、そんなことにならないように踏むということなんです」
麦踏みは麦を健やかに育てるために欠かせない大切な畑仕事だったのです。
佐藤さんたちから教えてもらった麦踏みの方法は、まんべんなくしっかり踏んでいくことだけ。靴と靴の間に踏み残しができないように、参加者それぞれが工夫して初の麦踏みを体験させていただきました。
農家が育てている作物を踏みつけるという、常識では理解できないような作業を初めて体験し、その深い意味をも教えられて、参加者一同「いやあ、いい経験だった」と言い合ったものでした。佐藤さん、飯島さん、ありがとうございます。
すくすく育った麦の青々しさがうれしかった「初夏」
5月、いわき市久之浜のお祭りの時に、麦畑の様子を見せてもらいました。本当に育つのか心配なほど小さかった麦の苗は、すでに大きく成長してたくさんの麦を実らせています。イネがまだ田植え前後のこの時期、すくすく伸びた青い麦は頼もしく思えるほどです。
「思ってたよりちゃんと育ってくれたなあ」と飯島さんも満足気。麦の穂が黄色く色づく麦秋(夏のはじめ頃)になれば、飯島さんや佐藤さんたち福島の農家の人たちにとってもほぼ初体験となる大麦の収穫です。
麦の穂先にシュンシュン延びた針のような突起まで元気そうに見えます。この突起は芒(「のぎ」とか「ぼう」)と言うものなのだと教えてもらいました。
収穫の苦労を知った「麦秋」
夏になって佐藤さんから、麦の収穫を始めるとの連絡が入りました。
「こどもの頃に親たちの年代の人たちが作ってたのを見たような記憶はあるけれども、この辺はずっと稲作でやってきたところだから、我々もどうしていいのか試行錯誤なところがあるんですよ」
おいしくて安全な米作りを続け、野菜や果物もつくり、ハウスの建設までやってしまうような佐藤さんたちが、ほぼ初めての大麦づくりの終盤で苦労されているのが伝わってきました。たとえば、収穫に欠かせない農機具にコンバインがありますが、稲作用のものをそのまま麦用に使うことはできないのだそうです。多分、長くて硬い芒が生えているせいで機械がうまく動かないとのこと。誰かにアドバイスをしてもらおうにも、福島県全体で探してもごくわずかに小麦を生産している農家があるくらいで、農協にも大麦作りのノウハウはなかったのだとか。
収穫後に電話で話した時には、「なんとか収穫することはできたけどね」という言葉。大ベテランでさえ苦労する、自然相手の仕事の大変さを感じさせられたものです。
そして美味しい穀物になった大麦たち
12月、久しぶりにいわき市で佐藤さん、飯島さんと再会。山から竹を伐り出して、富士市の仲間たちと一緒に竹細工をしたり、いつもとはちょっと違った経験をする中で、来シーズンの麦作りに向けての抱負についても聞かせてもらえました。
収穫したばかりの頃はうまく行かなかったことの反省ばかりで、悔しい思いも強かったのかもしれません。試行錯誤の中で大麦を育て上げ、とにもかくにも収穫したことは必ず次のシーズンに向けて大きな経験になったはず、などと素人のくせにエラそうに思ってしまいました。大麦という作物にチャレンジし、農家の方々が苦労されてきた様子からは、仕事の大変さというだけではない、農業の偉大さのようなものも感じます。
そして、佐藤さんや飯島さんが復活させた大麦の最初の収穫がこれ。
「よくお米屋さんに置いているような押し麦にする予定だったんだけど、今年はいろいろあって乾燥させただけなんだけどね」
というお話でしたが、炊いて食べたみると、どうしてどうして、弾力のある麦の粒のプリップリとした食感が絶品。押し麦よりも間違いなくおいしい。麦とろの有名店で食べた麦ごはんの風味と香りでした。
麦踏みをほんの少し手伝っただけ。体験させてもらってありがたいばかりなのに収穫した麦まで分けてもらって感激。いや文字通り、ホントにこのおいしさは感激ものです。麦ごはんを噛み締めながら思ったのは、ちょっとの手伝いでも、自分が関わった作物だと成長や収穫が気になるということ。気になるから見に行きたいと思うし、機会があれば手伝いたいと思う。そんな関わり方でつながりが広がっていく。これを人生の幸せと呼ばずしてなんと言いましょうや。