ヒロシマからの道「食べることのなかったお弁当」

その日の朝、お母さんが作ったであろうお弁当。食べられることなく、炭化してしまったお弁当。炭になってしまったお弁当を、お母さんはどんな気持ちで持ち続けてきたのでしょう。捨てられなかった気持ち、そして平和記念資料館に寄贈した気持ち。

弁当箱
折免シゲコ氏寄贈
爆心地から600m 中島新町

県立広島第二中学校1年生の折免滋(おりめんしげる)さんは、建物疎開作業現場で被爆し、死亡しました。8月9日早朝、母親が、弁当箱をおなかの下に抱きかかえるような姿の遺体を見つけました。滋さんが食べることのできなかったお弁当は真っ黒に焦げていました。

引用元:平和記念資料館のキャプション

無念、悲嘆、鎮魂。どんな言葉を使っても言い表すことのできない感情。

その日の朝、お弁当を持って家を出た滋さんと、送り出したお母さんの表情が目に浮かびます。あの晴れた日の朝。