ヒロシマからの道「一部に焦げた跡が残っています」

この写真が何だか分かりますか。遺品に添えられたキャプションは短いですが、たくさんのことを物語っています。

遺髪
日室雅恵氏寄贈
爆心地から900m 小網町

安芸高等女学校1年生の青谷照子さん(当時13歳)は、建物疎開作業現場で被爆しました。全身に大やけどを負いましたが、なんとか自宅近くまで帰り着きました。母親の懸命な看護もむなしく、7日朝息を引き取りました。母親が娘の形見と切り取ったこの遺髪には、一部に焦げた跡が残っています。

引用元:平和記念資料館のキャプション

私たちは遺品を見て、説明文を読むことでしか照子さんを知ることができないのです。だから、何度でも繰り返して読んでほしい。

お母さんはどうして、大切な娘さんの形見を平和記念資料館に託したのでしょうか。

どんな気持ちで託されたのでしょうか。

この場所にある遺品には、犠牲となった人の悲しみや苦しみだけではなく、愛する子供や家族を失った遺族やたくさんの人たちの苦しい思いが宿っています。

「母親が娘の形見と切り取ったこの遺髪には、一部に焦げた跡が残っています。」