国道45号線を北へ。坂を下って山田町の中心部に差し掛かったところで、不思議な光景が見えてきた。それは国道と海岸線の間に伸びる長い長い白い壁。
車を降りて見てみると、山田町の防潮堤は意外と高い。天端の高さは9.7mだとか。
防潮堤はブロック状のパーツを組み上げて造られているようだ。
そして思いのほか、薄いのだ。
こんなので大丈夫なのかと思えるほど薄っぺらな防潮堤が、町と海を隔てている。高くて薄くて白い壁が海岸沿いに長く伸びている。
まるでコンクリートのブロックを積み上げただけのように見える防潮堤だが、実際には地中深く埋設した鋼管の柱で貫くようにしてブロックは重ねられている。ネットで調べてみたら、この防潮堤は「ハイブリット防潮堤」と呼ばれる新技術なのだとか。写真では3段積みのブロックの2段目までしか鋼管の杭が入っていないように見えるが、ブロックを積み上げる際には鋼管は溶接して高くなって、最上段のブロックまで突き刺さることになるらしい。しかも、堤体には地面に埋まったところに底版があって、全体としては「L」字型、さらに鋼管の杭まで合わせると椅子のような形になっている。工期の短縮、狭い場所など施工の自由度の向上、堤体の壁厚を薄くできる、分割して運搬できるといったメリットがあると開発メーカーのホームページには記されていた。
新しい技術によって復旧工事が進捗するのはいいことだし、技術が進歩すること自体、歓迎すべきことだろう。それでもなぜか、この白くて薄くて長い壁のそばに立っていると釈然としないものを感じてしまうのだ。
ひとつには、この防潮堤で区切られた町側では、大規模なかさ上げ工事が進められているにもかかわらず、津波で被害を受けたのと変わらぬ低地にも、店舗や住宅が建設されているのを見たせいもあるだろう。もちろん仮設ではなくパーマネントな建築物だ。
もしも同じ規模の津波が再来した時、低地に建てられている建物をや、低地から逃げられなかった人たちを守るのは、現在建設中の高くて薄くて長くて白い防潮堤だけということになる。そりゃもちろん、新しい技術を実現するにあたっては、強度の計算とか、津波に耐えられるかどうかの試験やシミュレーションとか、さまざまな検証が行われたことは間違いないだろう。自分にはちょっと想像もできないような高い知能と知識と経験を有する人たちが知恵を注いで開発されたものに違いない。
しかし、この場所には東日本大震災の前にも防潮堤があったはず。かつてこの場所にあった防潮堤が巨大津波に耐えられなかったから、山田の町は震災の大きな被害を被ってしまったのだ。そこまで考えてみて、釈然としないものの正体が見えてきた。
かつて山田町にあり、東日本大震災で破壊されてしまった防潮堤が造られた時、設計者や技術者、建設業者は「大津波が来たら耐えられないかもしれませんよ」と思って造ったわけではあるまい。発注者も、町が破壊されていいと考えてスペックを出したわけではないだろう。しかし、現実はどうかというと、大津波に襲われた大半の場所で防潮堤は防潮堤としての役割を果たせずに破壊されてしまった。
いかに新技術とは言え、あらゆる津波を跳ねのけるなんてものではないのは明らかだ。人がつくるものである以上限界はある。強度がしっかり計算されて造られているということは、裏を返せば限界値を設定しているからこそ設計が可能ということだ。だからこそ経済性に考慮することもできる。
防潮堤とは一定の条件までなら津波の被害を軽減してくれるというものでしかない。人命や財産を守るのであれば、自然に抗う防潮堤ではなく、高台移転の方がずっと現実的だ。それでも被災地の多くで防潮堤が造られているのは、建設費を国が全額出してくれるからだという。全額出してもらえるのなら造っておこうというわけだ。しかし維持費は出してもらえないから将来的には自治体の負担が増えることになる。
それより何より、かつてあった防潮堤がなぜ破壊されたのか、その説明がほとんどなされていないことが気がかりだ。設計や工事に瑕疵があったとしたら、責任問題も発生しうるが、そんな話はどこからも出てこない。
かつてあったものが壊された。壊されたものは国がお金を出して造ってくれるらしい。だったら造ってもらっとこうか。
そこには、かつてあった防潮堤が壊れたために、多くの人々が犠牲になったという反省や、繰り返さないための視点が欠如しているように思われる。
この防潮堤が再び破られることになるなんて杞憂であって欲しいと思う。しかし「ここまでは耐えられる」という数値を設定しているからこそ造ることができるものである以上、設定以上のものには耐えられないというのもまた自明なのだ。
高く薄く長く白く続く防潮堤。この防潮堤が将来、21世紀初期の時代の人間の愚かさを証明するものにならないことを祈りたい。