ここに来ると歌が聞こえてくるような気がする――。そんな話を以前からよく聞いた。
聞こえてくるのは岸辺の葦のリードの調べか。あるいは海からの風が橋梁を鳴らしていくのか。それとも津波に奪われた魂の歌声なのか。
新北上大橋は東北の大河・北上川の河口から約4kmに掛けられた全長550mを超える巨大な橋だった。橋は7つのトラス(三角形を組み合わせた強固な鉄骨構造)を連ねて構成されていたが、東日本大震災で川を遡ってきた津波によって北側2つのトラスが流失した。震災から後、橋を失った住民たちは約12km上流の橋を迂回しなければならず難儀を極めた。たとえば病院、たとえば買い物のために40分以上の遠回りとなる。緊急時の救急搬送などに対する備えも急務だった。
流されてしまった部分の下流側を迂回する仮設の橋が建設されたのは、震災から半年以上経った2011年10月17日のことだったという。それでも地元建設業者の奮闘で、完成は1カ月以上短縮されたと聞いた。
完成した仮の橋は、ブロック状の鉄骨構造を積み上げるように組み合わせたもので、陸前高田の気仙大橋にもよく似ていた。しかし、かつてあった橋に続く道路が川の堤で突然途絶えいている光景は、見る人にさまざまな感情を呼び起こすものだったようだ。ましてこの場所は、津波で多くの犠牲者を出した大川小学校が位置する場所でもあった。(大川小学校は上の写真で見ると対岸のやや下流側)
夏のある日、新北上大橋を雄勝側(大川小学校側)から北に向かって渡っていて、はっとした。えっと思った。思わず車を止めて写真を撮った。
トラスが残った南側から走って行って、右に急カーブしながら移っていくそのちょうど真っ正面にトラスの橋桁があったのだ。
それは追加工事されていた新しい橋のトラスだった。8月の頃、北側のトラスのひとつはほぼ完成状態だった。宮城県の東部土木事務所が発表した起工当時のリリースによると、橋梁の復旧工事は平成26年6月に安全祈願祭を行なって本格化した後、平成27年6月にはトラスの新設を完了、その後も付帯工事を進めて本年度中の完成を予定しているとのこと。
トラスの新設工事は若干遅れが生じているのかもしれない。それでもたぶん、この年度が終わる頃には、新北上大橋は元の姿とほぼ同じ形で完成し通行可能となっていることだろう。
橋が復旧して仮のものから元の姿によみがえる。そのことが、この土地にどんな変化をもたらすのだろうか。もちろんそれは、ありがたくてすばらしいことだ。
ただ、この周辺で犠牲になった人たちの遺族の方々には、これまでの時間の経過の中で意識の違いが深まっているという話も聞く。たくさんの子供たちの命が失われた理由を解明したいというご遺族がいる一方で、生活再建を考える人たちにには「前」だけを見て進んで行きたいという考えの方も少なくないらしい。たとえば大川小学校を震災遺構として残すかどうかという問題でも、意見には隔たりがあるそうだ。
この橋を知っている人にとって、この場所は大川小学校と切り離して考えることなどできない場所だ。それは震災以前の姿をたとえ知らない人であっても同様だろう。
ここの場所に来ると聞こえてくるような気がしてならない歌声。
新北上大橋の復旧でその調べは少し変わって聞こえるようになるのか、あるいはそうはならないのか。復旧や復興は、戻すとともに変えて行くことでもあるという当たり前を改めて、復旧間近の橋を走りながら感じる。
歌声は橋を渡りながら今日も聞こえた気がした。