ぶつかり合う山車と山車◇必見!陸前高田「けんか七夕」

この音をなんと表現すればいいのか…

陸前高田には2つの七夕がある。気仙川をはさんで東側、旧・高田町の「うごく七夕」と西側、旧・気仙町の「けんか七夕」。開催は毎年同じ8月7日。うごく七夕に参加しているから、けんか七夕は見に行けないと諦めていたが、うごく七夕のお昼休みに行けば観られると聞いてラッキー! と小躍りして行ってきた。

山車の形はうごく七夕とよく似ている。車輪のついた櫓に、梶棒(15メートルもある杉の丸太。文字通り山車をカーブさせるときに思い切り押して向きを変えるための棒)が突き刺さっている。山車は和紙で飾り付けられて、中にはお囃子の太鼓と笛。最上階には笹ふりが控えている。

しかし、外見こそ似ていても祭りの見どころはちょっと違う。「けんか」と名付けられているとおり、この七夕は山車と山車がけんかをする七夕なのだ。

こういうことは口で説明するもんじゃない。せっかく動画があるんだから、どんな七夕なのか見てちょうだいな。

けんか七夕2015夏

山車と山車がぶつかる音。なんて言えばいいんだろう。太鼓や笛の音、本当にけんかしているみたいな笹ふりたち。4トンもある山車を100人規模の人たちが曳き合う迫力。ぶつかり合った後も、力が入る。力こぶができるほど力が入る。

「はまってけらいん」

うごく七夕の昼休み、「大石七夕祭り組」の法被を着たまま気仙町のけんか会場を見に行った時には、ちょうど一戦終えた後だった。

一戦後のなごやかな雰囲気の中、お姐さんたちもお兄さんもカッコいい。

梶棒が2本並んで見えるのは、互いの山車に梶棒をぶつけ合っているから。

山車は釘をいっさい使わず、材を藤の蔓で結んで組み上げられている。もちろん梶棒を山車に括り付けているのも藤蔓だ。4トンもの山車がぶつかり合っても壊れないのは、この藤蔓のお陰だと教えてもらった。

そんな話を聞いてると、年季の入った梶棒と藤蔓の「かたち」そのものがオーラを発しているように感じられる。(あれ、でもあんなところにカメラが… どうしてあんなところにカメラが付けられていたのか、その理由があとになってわかるのだ)

そして、この車輪。タイヤではなく木の車輪。気仙町のけんか七夕は900年以上の歴史を誇るという。長い歴史の中で変化してきたものもあるが、変わらないところも少なくない。「けんか」を見なくても、山車を見ているだけで美しさにため息が出てくる。

そんなあれこれを思いながらスマホで写真を撮ってたら、会場のスピーカーからこんな声が響く。

「おお、今日はなんと高田町・大石の人が来てくれています。はまってけらいん!」

自分のことだった。大石の法被を着ていたもんだから、祭り会場のマイクの人に「一緒にやろう」と誘われてしまったわけだ。むろん断る理由などあろうはずがない。

いなせなお兄さんたちと一緒に梶棒に取り付く。次の一戦のため、山車の位置を入れ替えるのだ。山車をバックさせ、梶棒をグッと押して向きを変え、かつては古い家並みが連なっていた気仙町今泉の道の鍵の手のところまで山車を押していく。通りの行き止まりぎりぎりまで行った所で方向転換。そして決戦の場所へと山車を進めていく。

山車はとにかく重かった。大石の山車もそうとう重たいが、けんかの山車の重さは格別だ。もちろん木の車輪だからだろう。重く重く重たい山車だが、力を合わせて押し込んでいくとグググと動き出す。自分たちの力を山車に注入していくような感覚だ。

梶棒だけで方向転換するのはもっと大興奮だった。最初は地面に根が張ったのかと思うくらいなのが、動き出すとまるで宙に浮かんだかのようにぐるりと回る。梶棒に飛ばされるとか、梶棒で怪我することがあると聞いた話を思い出した。

動かすのにも回すのにも、人間と人間を超えた何かが力を合わせているような不思議なものを感じさせられた。うごく七夕でずっと屋上だったので、山車を曳けた(実際には押したのだけど)のは貴重な体験だった。

山車の上にはお囃子の子供たち。「練習はどれくらいするの?」と聞いたら首を傾げるばかり。近くにいた大人が教えてくれた。

「練習なんかしないよ。けんか七夕のお囃子は体に染み込んでっからな」

なんともカッコいいこと!

そんな経験をさせてもらった後に、目の前で見たのが動画に撮った七夕のけんかだ。山車と山車がぶつかり合う音が腹に響く。太鼓に笛に笹振りの音に力が入る。力こぶができるほど力が入る。

次の世代に繋いでいくために

けんか七夕の動画をアップしたら、YouTubeのレコメンドでけんか七夕に取材した番組の動画が出てきた。マイクで「はまったけらいん」と言ってくれた人がいきなり登場した。村上さんという方なのだと知った。梶棒の付け根に取り付けられていたカメラの映像も映っていた。この道で七夕ができるのは今年で最後だという話もあった。町の人口が減って祭りの存続が危ういという話も聞いた。

大石のうごく七夕の斉藤さんの思いと一緒だと思った。

祭りを通して陸前高田の人たちの思いが染みてくるような番組だった。

テレメンタリー2015「消えゆく故郷の祭り~陸前高田・けんか七夕~」 15 08 31

番組のタイトルは「消えゆく故郷の祭り~陸前高田・けんか七夕」だ。番組の中で村上さんは、「こっちに人が戻ってくるのが早いか、七夕が力尽きてしまうのが早いのか、もう消えていくしかないでしょ」とまで話している。

しかし、それが本心でないのは明らかだ。続けていきたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。

伝承しようって言っても一番若い世代が40代だもの――。そんな、気仙町の人の言葉もあった。1基だけでも残していかないと。そんな言葉もあった。

それでも信じることができる。お囃子の子供たちには、練習も必要ないくらい七夕が染み込んでいる。たとえ高台への移転にさらに2年以上もかかるとしても、けんか七夕は必ず生き続ける。

動画の最後に村上さんが話した言葉がたまらない。

「ただいま」

そう言える場所を作り続ける。

陸前高田には2つの七夕がある。気仙川をはさんで東側、旧・高田町の「うごく七夕」と西の旧・気仙町の「けんか七夕」。山車の形は似ているけれど、見せ場は違う。しかし、思いはまったく同んなじだ。