8月6日。70年前の今日、原爆が広島に投下されました。あえて言うまでもないと思われるこの日について、ある調査によれば、およそ7割の人が正しい日付を答えることができなかったといいます。
日々、様々な出来事が起こっているなかで、全てのことを忘れずにいることは困難です。まして自分が生まれる前のことも含めるならば、なおさらのことかもしれません。しかし、どうしても忘れてはいけないこともあります。70年前の今日、そしてその3日後の8月9日にあった出来事はそのひとつだと思います。
私も常に広島や長崎であったことを考えているわけではありませんが、毎年、この日が近づくと2つの街に起こったことについて考えます。
ただ、平和な現代の日本に住んでいると、70年前にあった出来事について現実感を持って考えることがなかなかできないのも事実です。そのギャップを埋めてくれるのが、被ばくされた方々の証言や写真などです。
先日、長崎で被ばくされた方が語られているWEBサイトを読みました。そこには当時の光景や肉親との最後の別れなどが書かれていました。誰でも大切な家族や友人との別れは来てほしくないものです。とはいえ、いつかは必ずその日が来ます。その時、できる限り穏やかに迎えたいと誰もが願うはずです。しかし、70年前、原爆が投下された街では、そのような想いは非情な現実に踏みにじられています。それが70年経った今でも伝わってきて、胸が締め付けられます。
なかには、あまりにも凄惨で恐怖心を与えるという理由で、語り部の方が小学生に話をすることに対して、避けようとする傾向もあると聞きます。しかし、恐怖心は一種の防衛本能であり、同じことを繰り返さないために伝える必要があるのではないでしょうか。
実際の状況は、聞いた話とは比較にならないものがあると思いますが、それでも当時のことをリアリティを持って考えるだけの十分な力が原爆のことを伝える語り部の方の言葉にはあります。
8月6日と9日。この日は被ばくされた方々の証言に特に耳を傾ける日にしたいと思います。そして、この話が一部の国や人だけでなく、全ての国や地域の人に伝わってほしいと思います。
現在、被ばくされた方の証言を英語などの外国語へ翻訳する作業が行われているそうです。自分ができることとして、この証言の存在を知り合った海外の人を中心に伝えていきたいと思います。
参考WEBサイト
Text:sKenji