高校通算ホームランは64本、甲子園通算13本、打率.440。江川卓の高校時代を知らない私にとってPL学園の清原和博は私が最初に出会った『怪物』です。
その後は松井秀喜や松坂大輔、ダルビッシュ有など数々のドラマを作った甲子園の怪物たちに出会うことになりますが、やはり清原和博ほど『怪物』の名前にふさわしい男はいないのではないかと思っています。
そんな清原和博のあまり知られていない?小さな話を紹介します。(知っていたらごめんなさい^^;)
彼は小学校、中学校とピッチャーでした。小学校では完全試合も達成して中学シニア時代はエースで4番として全国準優勝も経験しています。
彼はPL学園に入ってからは打者として活躍しますが、甲子園でもマウンドにも立っています。1985年夏の2回戦、東海大山形戦は有名ですよね。実はそのときが甲子園の初マウンドではありません。その年の春のセンバツでも彼はマウンドに立っています。
1回戦の浜松商業戦。これが彼の甲子園で初マウンドでした。小学校、中学校とエース、高校でもピッチャーを希望した彼にとって甲子園のマウンドはまさに憧れでした。1回2/3イニング、打者5人に対してノーヒット、2三振という結果でした。
小さなドラマ
清原和博は中学校シニア時代に全国大会で準優勝。決勝戦は4-5で惜しくも負けています。
優勝を阻んだのは浜松シニア。
そのときの浜松シニアのピッチャーの名前は浜崎淳くん。
なんとこの浜崎淳くん、浜松商業のエースとしてこの日、甲子園のマウンドに立っていたのです。清原と浜崎はあの日から数年の時を経て甲子園で劇的な再会を果たしたのです。
これはまさに運命ですよね。そう思いませんか?^^
中学シニア時代、全国大会決勝で浜崎に全国優勝の夢を破られた清原。
野球の神様は再び2人を引き合わせ、最後の決着をつける舞台を用意しました。
怪物伝説再び!
そして3-1で迎えた5回裏の第3打席、カウント1-1から浜崎が投げたスライダーを清原は右中間のラッキーゾーンにホームランを打ったのです!
なんという男でしょう。清原和博は、この甲子園という大きな大きな舞台で中学時代の借りをきっちり返したのです。打たれた浜崎も納得した表情を浮かべていたのを覚えています。まさに怪物ですね。
ちなみに、、、2人が卒業した翌年の1986年センバツの1回戦でPL学園と浜松商は再び対戦します。このときは8-1で浜商がPL学園を倒しました。今度は浜崎の後輩たちが、先輩たちがやられた借りを甲子園で返したのでした^^
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■高校野球
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過去の甲子園伝説の試合から最近のものまでいろいろ。地方大会は静岡県の大会を中心に書いています。