前回の旅行レポート
ダナン駅で列車を降りるとバスでホイアンへ向かう。到着後、バスで知り合った旅行者と遅い昼食を取り、築200年の古民家の宿へ。
ホイアンについて
古い町並みで知られるホイアンはベトナム中部にある。2世紀、チャンパ王国時代から続くと言われる港町は、河口から7kmほど遡ったトゥボン川の畔にある。
16世紀~17世紀に最も繁栄したものの、その後川に土砂が堆積し、港の機能が失われて衰退したという。現在の町並みは18世紀に起こった西山党の乱で街が破壊された後に造られたもので、1999年に世界遺産に登録されている。
ホイアンは日本とも少なからぬ縁がある。街が最盛期を迎えていた17世紀には1000人以上の日本人が移り住んでいたと言われている。当時の名残が現在も残っており、「来遠橋(らいえんばし)」と呼ばれる橋は、日本人が造ったことから別名日本橋とも呼ばれている。
ベトナムの古都と聞いてまず最初に思い浮かぶのは同じ中部にある「フエ」かもしれない。しかし、歴史ある古い町並みとしてはフエ以上に当時の面影を今に伝える街である。
来遠橋(日本橋)
ホイアンの宿が決まり荷物を置いてまず最初に向かったのが、ホイアンを代表する建築物のひとつ、来遠橋である。
来遠橋は16世紀後半に日本人によって架けられたという屋根付の木造橋である。中央部分には小部屋があり、お寺になっている。
当時、この橋を境に日本人街と中国人街があったと言われている。来遠橋にたたずんでいると400年以上前、異国の地で暮らしていた日本人に思いを馳せてしまう。
古い住宅
ホイアンと言えば「古い町並み」。旧市街には200年以上前の古い住宅など、観光スポットとして公開されている場所が20か所以上あり、観光客はチケットを購入して建物の中に入って見学することができる。
チケットは全ての観光スポットで共通に使用できるものが5枚1セットで販売されており、1枚ずつ切り離して使用する。
ホイアンの古い住宅はどっしりとした重厚ある木造建築で、日本、中国、ベトナムなどの建築様式が混じっている。公開されている家屋の調度品には、真珠貝が埋め込まれているなど装飾が美しいものも多く、つい見入ってしまう。
旧市街にある古い家屋は2階建になっており、そのほとんどは天井の一部が右の写真のような格子状になっている。これは近くを流れるトゥボン川が氾濫した際、1階から2階へ物を退避させるためにある。写真は私が宿泊していた古民家で、宿のおばちゃん曰く、年に数回発生する洪水の際に今でも活躍しているという。
ホイアンの名物料理
ホイアンならではの名物料理がある。特に有名なものが「カオ・ラウ」、「ホワイト・ローズ」、「揚げワンタン」である。いずれもホイアンでしか食べることができないと言われているもので、3つのうち先にあげた2つを食べてみた。
カオ・ラウはうどんのような麺に少量のスープがかけられ、肉や香草などの具が入っている麺類である。
ホワイト・ローズはワンタンのような米粉で作られた生地の上に、海老のすり身を詰めて蒸し、その上に揚げた玉ねぎを載せて食べる。
なぜ、ホワイト・ローズやカオ・ラウはホイアンでしか食べることができないのか
。
その理由は「水」にあるという。なんでも、ホワイト・ローズ等の微妙な食感や味は、ホイアンにあるバーレーという名の井戸の水でしかだすことができないために、他では作ることができないそうである。
ホイアンで安くて美味しい料理を食べるなら、市場の食堂
ホイアンで安くて美味しいベトナム料理を食べたいならば、おすすめなのが市場。大きな建物に10店舗以上の小さな食堂が入っており、紹介したホイアンの名物料理のほかにも、フォーやミークアンなどを始めとしたベトナム料理を食べることできる。
市場の食堂に2、3度と通って話をしていると、店のおばちゃんとも顔見知りになり、食後にお茶を出してくれるようになった。
市場にある食堂の大半は19時で閉まるのだが、ホイアン二日目の夜、つい街歩きに夢中になってしまい、閉店時間を少し過ぎたころに訪れたことがあった。すると顔を覚えていてくれたおばちゃんは、ニコっと笑いながら「何が食べたいんだい?」と尋ねてきた。私が「フォー」と答えると、ほぼ片付け終わっていたにも関わらず、道具を取り出して作ってくれた。お腹だけでなく心も満たしてくれる地元の食堂である。