どうして原発再稼働は既定路線扱いされるのか

4月1日、東京電力は「新潟本社」という新たな組織を発足した。3月発表されたリリースによると、

 当社の重要な発電施設が立地し、関東圏の電力を安定的に支えていただいている新潟県の皆さまは、当社にとってかけがえのない存在です。新潟県の皆さまの思いにこれまで以上に誠実に向き合い、新潟県の皆さまとともに歩んでいく決意をかたちにしたい。

引用元:「新潟本社」の設立について|東京電力 平成27年3月17日

柏崎刈羽原子力発電所のみらず、水力発電所の電源地域としても長い付き合いがあったことを強調した上で、

 「新潟本社」では、地元に寄り添う経営の第一歩として、以下の取り組みを重点的に行ってまいります。
・福島原子力事故や柏崎刈羽原子力発電所の現状に関する柏崎刈羽地域での説明会や、新潟県全域における対面でのご説明の実施
・柏崎刈羽原子力発電所などの当社施設の見学機会の拡大・強化
・関係する自治体等の皆さまとよくご相談をさせていただきながら、原子力防災の充実に向けた取り組みの検討・実施

引用元:「新潟本社」の設立について|東京電力 平成27年3月17日

と、柏刈原電への理解促進・普及活動を行うとしている。しかし、4月1日の正式発足を受けて報道された記事の内容は、柏刈原発再稼働を睨んで地元への対応を強化するというものが多かった。代表者が再稼働は「会社存続には不可欠」と発言したとも報じられた。

新潟支社発足をきっかけに、東京電力が柏刈原発再稼働に向けて一層力を入れていく方針であることに間違いないだろう。しかし、不思議に思うのである。

それこそ粛々と進められるかのように見える核発電

商用原子炉は4月1日時点で562日の長きにわたって停止中である。で、現政権によれば日本経済はアベノミクスによる回復基調にあるらしい。原発が止まっていても経済は回っているという話になっている。

東日本大震災にともなって、先の見えない深刻な原発事故が発生した時、多くの人々が原発の恐ろしさを思い知ったし、ヘタすれば東京や関東圏の人々まで避難が必要だったかもしれないと後に知らされた。しかし、原発ゼロ、将来的には原発ゼロ、と政権のいうことは事故のその年のうちから後退して、2014年4月、安倍政権下で発表されたエネルギー基本計画(政治的思惑からエネルギー構成を計画するというまるで社会主義国で行われていた計画経済のようなもの)で原発は、「重要なベースロード電源」として推進されることになった。

この間、国民的な議論が行われたとは思えない。片やには原発再稼働に向けて舵を切る政権があり、もう一方にはネットや官邸前で反対の声を上げる人々の対立があっただけだ。国有地の占拠が行われたり、「絶叫戦術はテロ」という発言があったり、対話の場は得られなかった。ただし長期に及ぶ対立の期間には、立命館大学の大島堅一教授による原子力発電に経済的なメリットはないとする提言が出されたり、シビアアクシデント時の避難計画をどうするかといった「話し合いのテーマ」となりうるアジェンダがいくつもあった。

しかし、それらが取り上げられることはなく、時は流れ、メディアも伝えなくなった。

村上春樹さんがカタルーニャで「私たち日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と訴えたことも、はるか彼方の出来事になった。

いまはまるで既定路線のように再稼働への道程が踏まれているように、見える。

核発電がなくならない理由を示すひとつの仮説

ちなみに、今年4月3日付の村上春樹さんの文章には次のような一節がある。

僕に言わせていただければ、あれは本来は「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。nuclear=核、atomic power=原子力です。ですからnuclear plantは当然「核発電所」と呼ばれるべきなのです。そういう名称の微妙な言い換えからして、危険性を国民の目からなんとかそらせようという国の意図が、最初から見えているようです。

引用元:これから「核発電所」と呼びませんか? - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

こうした小さな言葉がたくさんの人に共有されて、積み重なって、「まやかし」のようなものへの理解が進んでいけば、再稼働に賛成する人と反対する人の間で「話し合う土俵」ができていくのだろうが、現在のところ期待薄な状況がずっと続いている。

反対の声がどれくらいあるのかすら測定されることなく、選挙に勝利した政権が「国民の信託を得た」と称して粛々と事を進める。

物心ついてから数十年間にわたってそれなりに政治のニュースも見てきたが、こんな無茶苦茶な時代を自分は知らない。

とは言え、知らないから分からないなんて言ってはいられない状況なので、どうして政権・大企業・電力会社は、次に事故ったら国を滅ぼすくらいに危険で、ちっとも安くつかなくて、さらに数十万年後の子孫にまで危険なゴミを相続するというエネルギー政策にしがみつくのか。あるいはそれから逃れることができないのか。自分なりに推理してみた。

まず思い浮かぶのは、「原発ホワイトアウト」「東京ブラックアウト」で原子力(核事業と呼ぶべきか)の暗部を描いた若杉冽(わかすぎ・れつ)氏が指摘する、莫大な原発マネーとそれを回すシステムの問題だ。政治家も官僚も財界も学者もそのシステムに組み込まれていて身動きが取れない。つまり金としがらみで核発電事業が止めるに止められない状況になっているのではないか。

日米核発電共同体という見方

しかし、核発電事業をめぐる若杉氏の指摘はあくまで小説の話に過ぎない。さらに、描かれたほどに大きなシステムが存在するとしたら、糾弾する人がもっと続々と現れてもよさそうなものだが、それがほとんどない。集金&配金のシステムの有無は分からないが、それだけではない別の、もしかしたらもっと大きな理由があるようにも思える。そう感じていて見つけたのが、評論家・寺島実郎氏が三井物産戦略研究所のページに2012年6月号に記した一文だった。核心部分を一部引用する。

こうした動きの背後にある重い現実を日本人は直視しなければならない。つまり、日米の原子力における関係が、この六年間で劇的に変化したということである。二〇〇六年一〇月、東芝がウェスチングハウスを買収、二〇〇七年七月、日立とGEが原子力分野での合弁事業会社を設立した。さらに、三菱重工が仏アレバと中型原子炉の共同開発を目指す合弁会社(ATMEA)を設立し、日本が世界の原子力産業の中核主体になってしまったのである。多くの日本人は、「日本は米国の原子力政策の受け身の受容者」という自己認識をとってきた。しかし、米国が三三年間も商業用原子炉を作らなかった間隙を突く形で、日本自身が原子力産業の主役となり、「日米原子力共同体」とでもいうべき構造に浸っている。このことの自覚を欠いた原子力に関する議論は空虚である。

実は、米国のフクシマの推移に対する沈黙の背景にはこの「日米原子力共同体」という構造が横たわっている。また、米国が原発の新設に踏み込む前提にもこの構造が埋め込まれている。米国が国内外で原子力発電プロジェクトを実現するにも、東芝、日立、三菱重工のみならず室蘭の日本製鋼所が世界の原子炉圧力容器のシェアの八割を占めるなど、現実に日本の産業協力なしには米国の原子力産業は動かないのである。

引用元:寺島実郎の発言 三井物産戦略研究所 連載「脳力のレッスン」世界 2012年6月号

かつての帝国海軍軍艦の大砲や、自衛隊最新鋭の一〇式戦車戦車の手法を製造する日本製鋼所の社名が登場するところが非常に生々しい。スリーマイル島原子炉事故の後、長くアメリカ国内で原子炉の建設が凍結されていた間、盛んに原発建設を行っていたのは日本であるし、東日本大震災の原子力災害で日本における原発再稼働が危ぶまれる状況が生まれるや、アメリカは国内向けに新しい原発の建設を認可している。原子力産業(核発電事業体)が日米ではすでに合体しているというのだ。さらに、ここで引用した部分には含まれていないが、原子力発電は兵器としての核開発とも表裏一体のものだ。日本は米軍の核の傘によって国の安全保障をたもっている状況にある。アメリカの核兵器によって守られているのだ。そんな状況下にありながら、「平和利用」と呼ばれる部分だけで「脱原発」などできるわけがない、というのが寺島氏の論であった。

寺島氏の話は非常に興味深いので、また記事をあらためて詳しく紹介したいと思うが、若杉氏が指摘するような、生身の人間を拘束する金やしがらみの先に、個人の力ではどうにも出来ないように思える日米の巨大企業の連合体があり、さらにその先には安全保障が横たわっている――。

そう考えれば、平場でどんな議論があろうともお構いなく、核発電の継続は議論の余地すらない既定の国家方針というように見えてくる。不祥事としか言いようのない事故やトラブルを連発しながらも、自ら策定したプランにそって東京電力が粛々と事を進めているようにしか見えないのも、「どうせ廃炉と再稼働はワンセット」という答えを握っているからかのようにも映る。

しかし、再稼働はどうしても行わなければならないことなのか。粛々と進められていいものなのか。引き続き考えていきたい。