[空気の研究]福島を取り上げたドキュメンタリー映画が上映中止に

自分はこの映画をまだ見ていない。そのことをお断りした上で、今起きていることについて考えたい。3月14日、日本在住のアメリカ人ドキュメンタリー映像作家のブログにこんな書き込みがあった。

Censorship? Self-censorship? 検閲? 自己検閲?

配給会社都合により、急遽「A2-B-C」上映中止せざるを得なくなってしまいました。

引用元:documenting ian, blog: Censorship? Self-censorship? 検閲? 自己検閲?

「A2-B-C」とはどんな映画なのか。映画の公式ホームページには次の解説がある。

上映会実施に関するご案内

映画「A2-B-C」は日本在住のアメリカ人監督イアン・トーマス・アッシュが、“フクシマ”を描いたドキュメンタリーです。テレビでは報道されない厳しい現実と、福島に住む人々の切実な訴えが、カメラを通して静かに映し出されます―。
果たして子どもたちの未来は安全なのか?
世界でも高い評価を受けた本作を、日本の多くの方にもぜひご覧いただきたいと存じます。ぜひ、上映会をご検討ください。

自主上映可能期間:2014/6/16より
基本料金:5万円(税別・1日2回まで)*監督参加付きの場合は8万円
…(後略)

引用元:映画『A2-B-C』公式サイト

予告編の動画もネットにアップされているのでご覧いただくと、どんな作品なのかはある程度想像できるだろう。

'A2-B-C' (TRAILER予告編) thyroid cysts and nodules in Fukushima children

Published on Feb 3, 2013

http://www.a2documentary.com/

SYNOPSIS: Many children in Fukushima were never evacuated after the nuclear meltdown on March 11, 2011. Now the number of Fukushima children found to have thyroid cysts and nodules is increasing. What will this mean for their future?

シノプシス: 福島の子供達の多くは、メルトダウン後も避難させてもらえなかった。嚢胞としこりを持­つ福島の子供達の数が増加してきている。このことが彼らの未来に対して意味するものは­?

配給先が「中途」で配給を打ち切る異常な事態

この映画は海外で数多くの映画賞を受賞している。昨年から国内でも単館での上映が行われてきた。もちろん映画上映にはたとえ単館でも配給会社が間に入っている。監督と映画館の間で配給を取り持ってきた配給会社が、急に配給を中止したということだ。

さらに驚いたのは、上に紹介した公式ホームページの上映会実施に関するご案内の上にはこんな一文が付け加えられていることだ。

「A2-B-C」上映会は、現在、受付を休止させていただいております。

引用元:映画『A2-B-C』公式サイト

映画「A2-B-C」のFacebookにはこんな言葉も。

3月23日をもって「A2-B-C」上映委員会を解散することになりました。また上映が再開できるようになりましたら、こちらのWebサイトでお知らせします。

引用元:映画 A2 B C | Facebook

映画館での上映のみならず、上映委員会の解散で自主上映すら不可能な状態。これはいったい何を意味しているのだろうか。

目に見えない黒い手のようなものは実在するのか

一昨年から昨年にかけて全国で単館上映が行われた映画「朝日のあたる家」の太田隆文監督は、上映する映画館がなかなか見つからないことについて、こんなことを話してくれたことがある。監督自身のブログにも詳しく何度も登場している。

「原発事故を扱っているというだけで、映画館が尻込みしてしまう。別に原発事故を取り上げた映画を上映したからといって、現実にどこかから圧力がかかったりすることはないのに、勝手に想像して、何か不都合があるんじゃないかと恐れて上映を断られてしまう。映画館だけじゃない。若い映画監督仲間からは、太田さんすごい映画を撮りましたねと言われた。彼らも何かを恐れている。撮りたいものがあれば撮ればいいのに、圧力がかかるんじゃないか、映画の世界で生きて行けなくなるんじゃないかと勝手に心配して手を引いている」

太田監督がそんな話をしてくれたのは、1年前の1月、「朝日のあたる家」が上映された沼津市の映画館のロビーでのことだった。

だがそれは、映画のクランクアップの後、太田監督が上映館を探している時や、追加上映できる映画館を探していた頃の出来事。沼津の映画館にも配給会社の人が監督に同行してきていた。しかし「A2-B-C」は事情が違う。映画館ではなく間を取り持つ配給会社が、途中で配給中止を通告したという異常な状況なのである。イアン・トーマス・アッシュ監督が自身のブログに書いた「検閲? 自己検閲?」という言葉には、「見えない黒い手」のようなものの存在が暗示されているようにすら思う。

「A2-B-C」の上映中止について、「シロウオ~原発立地を断念させた町」の監督をしたカメラーターのかさこ氏は、ブログで「上映中止は当然」と発言している。

こんなんで「ドキュメンタリー映画」なんて言わないでほしい。
何がひどいかって、らしい、らしい、らしい。
根拠もなく、裏取りもなく、データもなく、
ただただ「らしい」ばかりを集めた小学生レベルの動画なのだ。

引用元:反原発カルト教団映画「A2-B-C」の上映中止は当然 : ブロガーかさこの「好きを仕事に」

と3月26日のブログで指摘した後、3月31日にはこう書いている。

事実を装う作品を作るなら、
事実にちゃんと基づいて作れというだけの話。
でないとその稚拙さを口実に拡大解釈されて、
それこそ言論弾圧されかねない。

引用元:報ステ古賀騒動&映画「A2-B-C」に思う。履き違えた言論の自由は弾圧を招く : ブロガーかさこの「好きを仕事に」

ドキュメンタリーは事実を積み上げて作るものだという前段は分かる。しかし、表現の質云々によって「言論弾圧されかねない」というのは逆立ちした考えではないか。これでは、事実を積み上げてというせっかくの正論が、「言論弾圧されないように」という話になってしまう。

まして、低線量被曝の影響に定説はない。原発事故被災地の状況についても、実際のところ事故後にどれだけの放射性物質のフォールアウトがあったのかなど、住民個人レベルでは知り得ない情報が少なくない。事故原発の事業者が把握していても公開されない情報が存在することは、先月発覚した高濃度汚染水が海に流出し続けていた件でも明らかになった。

データや事実を積み上げることすらできないところに「不安」の原因がある。

それが杞憂であれば、その方がいいではないか

配給が中止され、上映ができなくなった理由は今のところ分からない。ただ確かなことがひとつある。それは空気が変わったということだ。

「反原発の急先鋒」を自認するかさこ氏が、「A2-B-C」の質について口汚いほどの言葉で糾弾するブログにしても、原発に反対する運動全体に弾圧が加えられるのを危惧していると読み取れる。

「変化」は、坂道を転げ落ちると表現するのがふさわしいほど急速だ。昨日より今日、今日より明日…。しかし、これも「らしい」と同じく、事実に裏付けられた定量的な言い方ではない。そうなのかどうか検証したり判断できるようなシロモノではない。なぜならそれは空気だから。

心配性の人間が抱く杞憂であってほしいと思う。ちょっと考えすぎだったねと後で笑えるのなら、その方がずっといいではないか。

空気は変わった。しかし、街は今日もそこそこ明るく楽しく、そして平和の中にあるように見える。日常はそれほど大きく変化することなく、淡々と日々のカレンダーがめくられていくだろう。明日も明後日も…。

そのことが不気味で恐ろしい。